30分で4度の爆発、傷だらけのデッキ――スケーターたちへの現地ルポで迫る、ウクライナ侵攻2年の「いま」
プロスケーターを夢見る17歳の青年バディム
以前話してくれたデニスの姿を広場で探しているのだが見つからない。すでに母親と一緒にポーランドに行ってしまったのだろうか。それ以後、彼の姿を見かけることはなかった。 この街から避難する者がいる一方で、ここへ避難してくる者もいる。 翌日、一人のスケーターの部屋に招かれた。待ち合わせたアパートの前でメッセージを送ると、しばらくして現れたのがバディム、17歳だ。 彼はロシア軍に占領されているザポリージャ州出身で、侵攻が始まってすぐにハルキウへ避難してきた。両親はまだ街に残っているという。 避難先となったアパートの階段を彼に続いて上りドアを開ける。脱いだスニーカーとスケボーが無造作に転がっている。彼の部屋には友人たちが泊まっていたようだ。 「昨日、部屋でラップをレコーディングしてたんだ。聞いてみる?」。バディムは録音したばかりの曲を流しながらベッドに寝転び天井を見つめる。 「将来はプロスケーターになりたいけど、ウクライナじゃスポンサーが集まらなくて難しいかも。どう思う?」(バディム) 「俺は初心者だから詳しくないし、わからないよ。ウクライナに残りたくはないの?」(筆者) 「もちろんここにいたいよ」(バディム) 「ザポリージャはどうなの?」(筆者) 「毎日、お母さんと電話している。俺を心配するより自分を心配しろって思うよ。占領されてるのに残るなんて」(バディム) そんな会話を続けながら部屋でだらだらと過ごしたあと、「じゃあ行くか」と言って友人たちと部屋を出た。とはいえ行くあてはとくにない。 営業を再開しているショッピングモールで高価なスニーカーを眺め、フードコートに席を陣取り何も注文せずにだらだらと喋る。 だが、空襲警報が鳴るとすぐに売り場を追い出されることになる。行き場を失った私たちが向かうのはいつもの広場だった。
「軍の兵士には感謝も尊敬もしている。でも俺には人を殺す理由が見つけられない」
誰よりも早く来て誰よりも遅くまで残り、トリックを続けるスケーターがいた。地元出身のアルチョムだった。普段から彼は「いまから広場に行くから早く来なよ」と私によくメッセージをくれた。 彼は21歳で、ウクライナ軍への志願兵の対象年齢である。そのことについて直接本人に聞いてみた。 「友人の何人かは兵士になった。もちろんウクライナ軍の兵士には感謝しているし、尊敬もしている。俺たちを守ってくれているからね。でも俺には人を殺す理由がどうしても見つけられないんだ」と彼は声を落として言った。 「俺の人生は俺のもののはずだ。でもどこにも逃げられない。もし兵士にならなきゃいけなくなったらどうしようって毎日考えていると気がおかしくなってくる。だから俺はここでいま、スケボーを続けるしかないんだ」 そういってアルチョムはスケボーに飛び乗った。 彼らの持っているスケートボードは古くて傷んだものが多い。それはスケートショップが存在しないハルキウで、彼らの友人や先輩から譲り受けたものを使い回しているからだ。傷だらけのボードは、ぴかぴかのボードしか持たない私には妙にかっこよく見えた。 アンドリーという青年が自慢げに説明してくれる。 「この傷はあの段差でスライドしてできた。こっちの傷は手すりでトリックしたときに生まれた傷だな」 スケートボードに残された傷はこの街の思い出であり、彼らの歴史でもある。母親とポーランドへ向かったデニスもスケートボードは手放していないはずだ。