30分で4度の爆発、傷だらけのデッキ――スケーターたちへの現地ルポで迫る、ウクライナ侵攻2年の「いま」
戦争で奪われかけていた身体の感覚を取り戻す
私は練習を続けた。寒空の夜なのに、いつの間にか汗だくで、ダウンジャケットを脱ぎ捨てる。 集中力を高めて、身体の動きに意識を向ける。右足をキックする。その直後、左足を浮かせたまま寝かせるように曲げる。着地失敗。転ぶ。痛い。次こそはできる気がする。もう一度。また転ぶ。 その瞬間、はっと気づいた。私はいま戦争をしている国にいるという意識がまったくといっていいほど無かった。嫌悪していた空襲警報さえも気づかないほどだ。むしろ夢中になることに爽快感さえあった。 あらためてスケボーに取り組む彼らの姿を眺めてみた。思わず「そういうことなのか……」と独り言が出た。私と彼らのレベルは天と地ほどの差があるのはたしかだが、それでも彼らがスケボーに取り組んでいる理由がわかった気がしたのだ。 体のバランスに気を配り、指先から足の爪先まですべてをコントロールする。そして「いまこの瞬間だけを見つめる」ことは、戦争という状況にあって一度は奪われかけた自らの身体の感覚を取り戻す行為なのだろう。
どうしようもない世界でも、自由を得るために最大限に生きる
彼らと時間を過ごしていくうちに、週末にスケートボードの小さな大会があることを教えてもらった。私のような初心者が参加できるようなものではないが、せめて彼らの姿を記録したい。 会場のスケートパークはハルキウ郊外のサルティフカ団地の一角にあるらしい。団地は市内でも空爆が最も被害が大きかった地区にあるが、パークの周辺は被害を免れたようだ。 私が到着した昼すぎにはすでに大会は始まっていた。参加者は30人ほどだろうか。大会といっても見たことがある顔ぶれがほとんどだった。 主催者はユアンという16歳の青年で、自らスポンサーに交渉して賞品をかき集めてきたという。大会といっても、きちんとしたスタッフがいないのは、皆が選手でありスタッフなのだろう。その姿からは、この街で彼らができる最大限のことを自分たちの力でやりたいという思いが伝わってくる。 仲間たちに見守られたスケーターは真剣な顔つきで、トリックをメイクしていく。たとえ失敗しても大きな歓声があがる。スケートボードを加速させ、デッキを蹴り上げた瞬間、宙に浮く。それこそが、彼らにとってかけがえのない瞬間なのだろう。 己の肉体を自らの意思で動かす。それだけがこの戦時下で、たしかに握り締め続けられる小さな自由なのだ。大会が終わるとスケートランプの上から選手の名前が呼ばれ、賞品が配られた。 新しいデッキを獲得して浮足立っていたアルチョムが「俺たちと一緒に帰ろうぜ」と声をかけてきた。 ソビエト時代から走っている古いトラムにボードを抱えたまま仲間たちと飛び乗る。はしゃぐ彼らの姿を、ほかの乗客はちらっと見るだけで気にも留めない。アルチョムは手にした古い傷だらけのボードを見つめて、目を細める。 「ついにこいつとお別れだな」と彼はつぶやいた。