30分で4度の爆発、傷だらけのデッキ――スケーターたちへの現地ルポで迫る、ウクライナ侵攻2年の「いま」
ロシア国境付近の街・クピャンスクで起きていること
数日後、私はウクライナ東部のハルキウで、あるボランティア団体に同行させてもらった。彼らが向かう先はロシア国境近くのクピャンスク。ロシア軍に包囲されつつある街から住人の脱出を手助けするというという。 前線は複雑に入り組んでおり、何度も検問を越え、道を変えて進む。車両の窓からは砲撃によって崩れたアパートや焼け焦げた家が見える。 到着したクピャンスクの街には住民の姿はほとんど見当たらず、目につくのはウクライナ軍兵士の姿ばかりだ。ボランティアの一人が電話をかけると、建物から住民が走り出てくる。 素早くドアを開けて乗り込む。突然、爆発音が空気を震わせ、私たちの皮膚へと伝わる。住民は手を広げて肩をすくめて見せる。 私たちがその街に滞在していた時間はわずか30分ほどだが、4度の爆発音を聞いた。帰り際、スマホをいじりながら運転手が言った。 「さっきの空爆で残っていた住民2人が死んだらしい。これはよくあることだ」 この状況が2年続いている。これが現実である。
戦時中もプッシュするハルキウのスケーター
前線付近で日中の活動を終え、陽が落ちかけるころにハルキウ市内まで戻る。明かりがきらめく首都キーウとは違い、ハルキウの夜は早い。節電と灯火管制のためだ。この街に憂さを晴らすような場所はない。 中心部にあるオペラ劇場の前を通ると、その広場にスケーターが数人集まっていた。戦時中でもスケボーに乗る人たちがいる。その風景をどうとらえてよいかわからず、私は思わず声をかけた。 スケーターの一人が答えた。「この場所は特別なんだ。いつ来ても誰かに会えるからね」 戦争前はこの広場に毎晩30人は集まっていたらしい。私が見たところ、今はその半分以下ほどだろう。 ハルキウのスケーターらがここに集まる理由はいくつかある。まず誰でもアクセスがしやすい中心部にあること。そして滑りやすい路面があること。さらにここには石の階段やベンチなどがちょうど良く配置されており、トリック(技)をしやすいという。 アルチョムという青年は「ハルキウにはスケートショップもないし、コミュニティも小さい。だけど、そのぶん結束は固いんだ」と話してくれた。ここに顔を出すことは仲間同士の生存確認や情報交換の意味もあるのだろう。 彼らはスケボーから降りると、ずっと話し込んでいた。そのなかには浮かない顔をしていたデニスという青年がいた。 「母親が一緒にポーランドに逃げようと言っている。俺はまだ17歳だから、国外に出ることができるからね。でも本当はここに残りたいんだ。ここにいればいつでもスケボーができるし仲間にも会える」 この街はいまだにミサイル攻撃を受けている。そんな状況でも彼らにはスケボーや仲間がそれほど大切なのだろうか。何度も何度もプッシュしてはトリックを試みる。そんな彼らの妙に切迫感のある表情が忘れられなかった。