30分で4度の爆発、傷だらけのデッキ――スケーターたちへの現地ルポで迫る、ウクライナ侵攻2年の「いま」
元NHK報道カメラマンで、フリーランスの写真家として活動する児玉浩宜がウクライナ・ハルキウに訪れ、若いスケーターたちのコミュニティを現地ルポ。 【画像】彼らが持っているスケートボード ロシアによる軍事侵攻から2年。国際的な支援疲れや関心の低下が指摘されるなか、戦争当事者となった彼らの視点からニュースでは報道されない、ウクライナの「いま」を伝える。 ※取材は2024年2、3月に実施
「スケートボードをしているときは自由になれる気がする」
ウクライナ第二の都市、ハルキウの中心部にそびえ立つオペラ劇場は、旧ソビエト時代の建築物特有の無骨な姿をしている。 ここもまた多くの建物と同様にロシア軍によって爆撃を受けた。幸運にも被害は大きくなかったが、外壁の一部は剥がれ、ガラスは割れたままだ。 この劇場前の広場には、毎日のようにスケートボードに乗る若者たちが集まる。 スケーターの一人が言った。 「いま、この瞬間だけは自由になれる気がするんだ」 私は彼らの姿を追っていた。どういうわけか私もスケボーに乗って。
戦争はいまも続いている――5度目のウクライナ訪問
2024年2月、私はロシア軍によるウクライナ全面侵攻から5度目となるウクライナを訪れていた。きっかけは東京のカフェで聞いた友人の何気ない言葉からだった。 「ウクライナってまだ戦争やってるの?」 彼女の質問に悪意がないのはわかっている。それでも「ニュースを見ればわかるだろう」と内心では小さな憤りを感じた。 だが、彼女がそう思うことはもっともだ。メディアでの報道は急速に減少しつつある。それは世間の関心が薄まりつつあるせいだろう。私が最後に訪れたのは昨年のことである。いまウクライナはどうなっているのだろうか。 霧雨の夜。首都キーウは重苦しい雰囲気に包まれていた。ちょうどこの日は侵攻から2年になるということで、各地で追悼式が挙げられていた。 「同じ通りに住む隣人が侵攻してきたロシア兵に撃たれて死んでしまった」 「友人がウクライナ軍に参加した。前線へ向かったが、すぐに亡くなった」 言葉を失うような話はどこへ行っても耳にする。市民の顔を曇らせるのは亡くした人への思いだけではない。ウクライナ軍への動員だ。 ロシア軍による全面侵攻が始まって以降、ウクライナでは総動員令が出され、18歳から60歳までの男性は原則、出国が禁止されている。戦力にするためだ。いつ徴集されるかわからない恐怖から、国外逃亡を図ろうとして摘発される男性も多いとも聞く。 キーウの街を歩けば意外にもバーやクラブが営業を再開しており、ダンスミュージックの重低音が漏れ聞こえてくる。 つい「復興」という言葉が頭をよぎる。だが、酔っ払いの狂ったような雄叫びが響き、殴り合いの喧嘩の末、警察が男を羽交い締めにしている姿を見かけるとその言葉は頭から消える。 厭戦(えんせん)気分やいら立ちに対する憂さ晴らしなのだろうか。全面侵攻から2年、2014年に起きたクリミア危機やドンバス紛争から10年にもなる。この街を照らす光の影に、戦争がもたらした狂気が潜んでいるように感じられる。