「親に会いたい」見過ごされてきた小さき声─“子どもの声”に耳を傾ける活動の広がり
「部活も進学もだめ。いろんなことを経済的理由で諦めてきました。子どもたちの小さな願いをつぶさないでほしいです」――。若者のそんな訴えが、白っぽい部屋に響いた。子どもの声を聴き、権利を守る「子どもアドボカシー養成講座」でのひとコマだ。子どもにも様々な権利があるにもかかわらず、子どもは自ら声を上げることが難しい。その小さな声に耳を傾け、声を上げることを手伝うにはどうしたらいいのか。子どもアドボカシー活動の現場を取材した。(文・森本修代/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
届かなかった多くの声
「5歳のとき父親がある事件で逮捕されました。約10年後に刑務所から出所して、やっと一緒に暮らせると喜びましたが、父は私が幼かったころと同じような接し方しかできず、耐えられませんでした」 「病院で『親の同意書を持ってきて』と言われて困りました。親がどこにいるのかわからないのに……」 天井も床も壁も真っ白な熊本市中心部の多目的スペースで、20代の若者たちがマイクを握り、次々と自らの境遇を語っていた。熊本県が推進する事業の一環としてNPO法人などが開いた「子どもアドボカシー養成講座・基礎」で、訴えの声を上げたのは男性1人、女性3人。全員、児童養護施設で育つなどした「社会的養護」を経験した若者たちである。 そのうちの1人に、熊本市在住の山本栞奈さん(25)がいた。ただし、山本さんは会場には行かず、オンラインで自宅から語り続けた。厚生労働省指定の難病を患っており、市の中心部まで出向くのが難しかったからだ。
山本さんは4人きょうだいの末っ子として生まれた。5歳のとき両親が離婚。姉は母親が、長兄は祖母が引き取り、自身は次兄とともに児童養護施設に預けられた。施設での生活は「友達がたくさんいて、にぎやかで楽しかった」と言う。それでも、夏休みなどに長兄のいる祖母宅へ泊まりに行くと、帰りはつらくて泣きじゃくった。そんな幼少の記憶は消えることがない。 「どこで誰と暮らしたいかという希望を聞かれたことはありません。きょうだい一緒に暮らしたかったという思いは兄たちとも共通しています。でも今となっては私たちの子ども時代は取り返せません」 山本さんに限らず、親が育てられない場合、子どもの処遇は児童相談所(児相)などが決める。その際、子どもの意向はほとんど聞かれてこなかった。 「子どもの境遇は本人の責任ではありません。なぜ施設に預けられたのか、わかるように説明してほしいです。子どもでも障害者でも、一人の人間として尊重してほしかった」