“BIGBOSS”新庄の前で打撃投手を務めた元日ハム斎藤佑樹さんが現役最後に挑戦していた画期的試みとは…肘にメスを入れない治療法
最終的な目標だった「140キロ、145キロを投げて、バッターを抑えて、1軍で活躍すること」は叶わなかったものの、手術を避けられないとされる靭帯断裂のケースで、ひじにメスをいれることなくマウンドに立ったことで確実に一つの道を示した。 ジョンは結局、翌1975年こそ全休したが、76年に復帰すると、89年まで現役を続け、通算で288勝を挙げている。ただ、その功績にフォーカスが当たることは少ない。むしろ引退後、靭帯の再建手術の俗称として「トミー・ジョン手術」が定着したことにより、今も彼の名前が語り継がれている。 「自分が投手だったことを、知らない人もいる」とジョンは2014年に受けたスポーツ・イラストレイテッド誌のインタビューで答えていた。 「医者だと思っている人もいるようだ。でも、ジョーブ博士と関連して覚えられていることを誇りに思う。私は決して、実験材料にされたとは思っていない」 そこにはジョーブ博士との信頼関係が透けて見える。彼はジョーブ博士を信用し、望んで手術を受け入れた。踏み出したその一歩によってその後、何百人という投手生命が救われた。 一方の斎藤さんはこの新しい治療法を試すとき、「自分が結果を出すという大前提がもちろんあった」というものの、こんなことも意識したという。 「もしこれが成功したら、これからの野球選手にとってきっと大きな財産になる」 さて、昨年9月にトミー・ジョン手術を受けた前田健太投手(ツインズ)は自らの靭帯に加え、人工靭帯を移植するハイブリット手術を受けた。 肘に関する医療は進化しており、馬見塚さんは「野球の肘治療では、イノベーションが起きつつある」と話す。 斎藤さんが受けた治療法の評価が定まるまで、もう少し時間を要するかもしれない。しかし、斎藤さんと馬見塚さんの挑戦により、道なき道の斜面は踏み固められ、行程の木々に印もつけられ、確実にこの治療法を受け入れるハードルが下がった。 いつか、靭帯を断裂した場合の治療法が、TOMMY JOHNからYUKI SAITOに置き換わる日が来るのかもしれない。 (文責・丹羽政善/米国在住スポーツライター)