引退発表した斎藤佑樹が背負い続けた「ハンカチ王子」の呪縛と覚悟…早大時代に漏らした「別の人生を歩めたかも」
甲子園を制した早稲田実業時代に“ハンカチ王子”として一世を風靡し、社会現象まで引き起こしたプロ野球日本ハムの斎藤佑樹投手(33)が、プロ11年目の今シーズン限りで現役を引退することが1日、同球団から発表された。 斎藤は早稲田大学を経て2010年のドラフトでヤクルト、ソフトバンク、日ハム、ロッテの4球団競合の末に日本ハムへ入団。ルーキーイヤーには19試合に登板し、6勝6敗、防御率2.69をマークしたが、その後は右肩や右肘の故障に苦しみ、昨シーズンからは一軍登板がない状況が続いていた。 ここまでの一軍通算成績は88試合に登板して15勝26敗、防御率4.34。球団を通じて「ご期待に沿うような成績を残すことができませんでしたが(中略)北海道日本ハムファイターズで最高の仲間とプレーすることができて幸せでした」とコメントした斎藤が、眩い輝きを放ったアマチュア時代から人知れず抱いていた葛藤や苦悩、覚悟を振り返る。
「プロでハンカチ?絶対無理」
プロとしての第一歩を踏み出す2011年の春に「論スポ」の取材で斎藤を追いかけたことがある。彼が何者であるかを浮き彫りにするために周辺取材をした。その一人が早稲田スポーツ新聞会の大学生の記者さんだった。 甲子園優勝投手の肩書きとともに早稲田大学教育学部へ入学。野球部の一員になった2007年春から、斎藤は同新聞会の最大の取材対象であり続けた。特にキャプテンに就任した最終学年に彼らは1時間を超えるロングインタビュー取材を何度かトライ。日本ハムに入団し、新人合同自主トレが行われている最中の2011年1月中旬に実施された最後のインタビューで、ある答えを引き出した。 大学生の記者がそれまでも幾度となくぶつけてきた「プロになっても、ハンカチは使いますか」という質問に、斎藤ははぐらかせ続けてきた胸中をようやく明かした。 「絶対にない。無理。とにかく無理」 言下に否定したハンカチの意味を、あらためて説明する必要もないだろう。 早稲田実業のエースとして臨んだ2006年夏の甲子園。駒大苫小牧(南北海道)の田中将大(現楽天)と息詰まる投げ合いを演じ、延長15回引き分け再試合の末に制した2日越しの決勝戦は高校野球の歴史に残る名勝負として、いまもなお語り継がれている。 さらに大会を通じて、丁寧にたたまれた青いハンカチをポケットから取りだしては、マウンド上で汗をぬぐう姿が老若男女を問わず共感を呼んだ。メディアで命名された“ハンカチ王子”は優勝との相乗効果で、瞬く間に流行語と化した。