なぜ鹿島アントラーズは柳沢、小笠原、相馬、中田ら”レジェンドOB”をスタッフに集結させたのか?
しかし、2018年6月上旬に発売された女性週刊誌に女性関係に関するスクープが掲載された柳沢氏は、チームの規律に違反したとして鹿島から無期限の自宅謹慎処分を科された。週刊誌の発売直後に申し出ていた辞表が受理される形で、柳沢氏は同8日に鹿島を退団している。 そして、約半年後の2019年1月からユースチームのコーチとして鹿島に復帰した。鹿島出身の中村幸聖前監督のもとで、未来のある子どもたちを育てた2年間を経ての監督就任は再出発にかける姿勢が評価された証であり、OBを大切にする鹿島の方針の象徴でもある。柳沢氏はJクラブの監督を務めるために必要な、最上位のS級ライセンス取得を目指す2020年度の受講者にも名前を連ねている。 さらにユースのコーチには、東海大第五高(福岡)から加入した2007シーズンに鹿島でプロのキャリアをスタートさせ、FC岐阜でプレーした2019シーズンを最後に引退。昨年は鹿島のスクールコーチを務めていた當間建文氏が就任し、柳沢新監督を支えていくことになった。 中学年代のジュニアユースのゴールキーパーコーチには、モンテディオ山形でプレーした昨シーズン限りで引退した佐藤昭大氏が就任。サンフレッチェ広島でプロ人生をスタートさせた佐藤氏もまた、2010シーズンから6年間にわたって鹿島に所属しているOBとなる。 31歳の當間氏も34歳の佐藤氏も、鹿島では公式戦出場にほぼ無縁だった。J1リーグで言えば前者は3試合、後者は10試合の出場にとどまっている。それでも在籍時に何度も薫陶を受けた、献身、誠実、尊重を三本柱とする「ジーコ・スピリット」をたぎらせながら、現役生活を駆け抜けた。 Jリーグの発足を前に前身の住友金属で現役復帰し、日本リーグ2部を戦っていたチームを常勝軍団へ昇華させる礎を作り上げた元ブラジル代表の英雄で、いま現在もテクニカルディレクターを務める神様ジーコは、創設30周年を迎える鹿島の特設ウェブサイトへこんなコメントを寄せている。 「発足当時、私はアントラーズに合った必要なものを探し、選手として培った経験などを伝え、勝者の哲学を植え付けてきました。その哲学をクラブとして確立し、継続して取り組んできたからこそ、ここまでの実績を残せるクラブになったのだと思います。私が願うことは、これからも決して哲学を変えてはいけないということです」(原文ママ) ジーコが言及した「これからも決して哲学を変えてはいけない」を実践する道が、鹿島に脈打ってきたイズムを熟知するOBたちを、積極的かつ継続的にスタッフとして登用することになる。 例えば2018シーズン限りで惜しまれながら引退したレジェンドの一人、小笠原満男氏(41)は鹿島のテクニカルアドバイザーとして、小泉社長の説明によれば「引き続きユースを中心に、技術向上のための指導を行っていきます」と柳沢監督とともに次世代を育てる仕事を担う。