労働組合はなぜ弱体化したのか グーグルや大学生が結成の動き「本気で戦う組合必要」
02年「トヨタショック」…春闘の終焉
かつて、春闘では要求を通すために一斉に労働を止めるストライキやデモ行進を行う時代があったが、次第に運動は変質した。 収益力のある企業の労働組合が「パターンセッター(賃金相場形成役)」となって、基本給を一律で引き上げ(ベースアップ。以下、ベア)、他企業もそれに同調するという構図が定着したが、2000年代初頭にはこれも崩れた。その分岐点が「02年トヨタショック」だと立教大学経済学部の首藤若菜教授は解説する。
2002年3月期決算で、トヨタ自動車は国内企業として初めて経常利益1兆円を達成した。好業績を受けて、トヨタ労組はベア1000円を要求した。ところが、経営側は「ベアは回答しない」と拒否した。 「この期に及んでまで100円玉を積み上げるような労使交渉をしているのか」 奥田碩会長(当時)の一喝で1兆円の利益を上げていたトヨタがベア・ゼロに抑えられたという。 首藤氏は、現在はパターンセッターが不在で、トヨタ自動車の賃上げを相場とした波及システムが終焉を迎えた、と指摘する。 「トヨタとその関連企業だけの話だけでなく、日本の大企業が高止まりする人件費に頭を悩ませているなかで、『あのトヨタでさえベアゼロなのだから』と人件費削減の口実となり、労組の要求を次々と突っぱねた。経営不振ならともかく、売り上げの良かった企業の経営陣にもその口実を与えてしまった。アベノミクスが実質始動した2013年の春闘まで12年間、ベアゼロか1000円程度に抑えられた『春闘冬の時代』に突入したのです」
同年、日本経団連は「春闘の終焉」を宣言。「名目賃金水準のこれ以上の引き上げは困難であり、ベースアップは論外」とベアを切り捨てた。 ただ、それは経営環境の世界的な変化が大きかったのではないかと弁護士の加藤裕治氏は言う。加藤氏は長年、トヨタ労組の中核だった人物だ。 「要求通りにベアの回答をしても年間で十数億円。当時のトヨタに捻出できない額ではない。にもかかわらず、奥田さんは組合の要求を拒否した。それはトヨタ一企業の理論よりも、日本経団連の代表として産業界全体の『ベアはゼロ』指針を明らかにしたかったのではないか」 加藤氏は1975年にトヨタ自動車工業(現トヨタ自動車)に入社。1984年、同社労働組合の専従となり、2001年に自動車総連会長、連合副会長に就任した。奥田氏とは自動車総連役員になって以降は年に1、2度、食事をしながら話し合った。その席でも「国際競争を勝ち抜くために労務費がかさむベアは認めない。賃金上昇に歯止めをかける」とよく口にしていたという。 「自動車産業は中国との技術差があり、猶予はありましたが、家電メーカーは中国との安売り合戦で旗色が悪化していった。トヨタは過去最高益を出したが、労務費がそのまま国際競争の差となるため、ベアは認められないと奥田さんは述べていた。当時、日本の賃金は世界トップクラスで、デフレ経済で物価も上がっていない。生活には困っていないという追認する声もあった」