中国包囲に再結集する「アングロサクソン帝国」の賞味期限
第2期・「産業革命の元祖・鉄と蒸気機関」
イギリス第2帝国という考え方では、1837年のヴィクトリア女王即位、1858年のインド完全支配あたりを起点とするようだ。しかし、エイブラハム・ダービーの製鉄法改良、ジェームズ・ワットの蒸気機関改良などがあって、18世紀後半にいち早く産業革命を起こしたことがこの帝国の動力であったと考えれば、やはり少し前倒しをして、アメリカの独立(1776年)から第一次世界大戦の終結(1918年)までの150年ほどをアングロサクソン帝国の第2期としたい。 蒸気船と鉄道が「産業の帝国」を牽引し、イギリスは「世界の工場(当時は先進的なという輝かしい意味であった)」と呼ばれた。イギリス帝国の視線はアメリカからインド他アジアへ、アフリカへと移行しているが、それは植民地主義から資本主義への移行でもあった。ディズレーリとグラッドストーンが論陣を張った、女王と議会の帝国でもあった。 当然のことながら、アングロサクソン帝国の第2期は、アメリカの歴史も並行して考えなければならない。この新しい国では独立のあとも西に向かう開拓がつづいた。荒海から荒野へと。南北戦争(1861年~1865年)を北部工業資本の南部農業資本に対する勝利と考えれば、やはりアングロサクソン帝国の経済が農業から工業へと転換したことを示している。アメリカは西部開拓の時代から技術開発の時代へと変化するが、どちらも「ディベロップメント=開発、発展」であり、それがこの国の歴史的国是となっている。いわゆるフロンティア・スピリットだ。 またこの時代、それまで世界史の表舞台に登場したことのなかった日本という東洋の島国が、急速な近代化と工業化を遂げ、列強の一角であるロシアを撃ち破ったことは特筆すべきである。そしてその陰に、維新の官軍への武器供与と日露戦争時の日英同盟というかたちで、イギリスの存在があったことにも注意すべきであろう。 帝国としてのイギリスの凋落が明らかになったのは第一次世界大戦である。ドイツは敗れはしたもののヨーロッパにおける大きな力であることを感じさせたのであり、歴史的観点から、本当の敗者はイギリスであったかもしれない。中西輝政はこれを「悲しみの大戦」(『大英帝国衰亡史』PHP研究所・1997年刊)と評している。