若い人に習うのをやめたら、マジで終わるーー扱いの難しい「1.5列目」、清塚信也とDJ松永が仕事に命を懸ける理由
好きなことで傷ついても、「やめる」にはならない
サッカーをやめたことが大きなきっかけになり、初バイトの給料でターンテーブルを購入した松永。ターンテーブルに触れるなかで得た「好き」の感情は、これまでに感じたものとはまるで異なるものだったという。 清塚:それで、ターンテーブル買ってみてどうだったの? 松永:あまりにも楽しくて、ずっと触ってました。DJ好きすぎて学校にはほぼ行かなくなって、先のことなんて何も考えずに学校もやめて。そこからひたすらスクラッチ練習とかして。 清塚:ピアノでも、練習が嫌いな人ってほとんどだと思うんだけどね。
松永:「練習は何時間やるぞ」なんてことは考えてなくて、起きたらやる、寝る前にやる。DJミキサーからクロスフェーダーだけ取り外して、友達の家に行くまでの移動中にやる。何時間やるとか考えてなかったけど、めちゃくちゃ幸せでしたね。 清塚:ピアノでもDJでも、何かの道を極めようとするときは、みんな「努力すること」がいちばん苦しいんだ。でも一流になる人は、練習は死ぬほどやっているのに、努力している意識がないんだよね。 松永:やっぱり好きなものだと、自然と想像力が働くし、色々試したくなるんですよね。「指先に神経を集中させると、音のニュアンスが出やすいんだな」「うまくなったな、楽しいな」といったことの連続で、ターンテーブルを触っている瞬間も、技術が向上していくことも楽しい。サッカーだと、この想像力は働かなかったです。
清塚:「好きなことを仕事にする」っていうトレンドがあるじゃない。それはもちろん素晴らしいこと。けど、この言葉の裏には「あんまり嫌なことをしなくていい」みたいなニュアンスがあると思うんだよね。一方の我々は、みんなが嫌がる努力や練習を嫌と思わずにやれたから、今があるかもしれないなって。 松永:悲しいかな、アイデンティティーがそれ一本でしたからね。音楽をやっているなかでの挫折も死ぬほどあるし、傷つくことも多いけど、「やめる」という気持ちにはなるわけない。「飯まずいから、一生飯食わない」になるわけないだろ、って話じゃないですか。 清塚:我々の「好き」は、はっきり言って命がかかってるんだよね。本当に必死に生きのびようとして、すがりついて崖から落ちないようにしてつかんだものがそれだった、ぐらいのね。取り上げられるのは死ぬよりもつらいかもしれない。