若い人に習うのをやめたら、マジで終わるーー扱いの難しい「1.5列目」、清塚信也とDJ松永が仕事に命を懸ける理由
松永:それはきつい……。 清塚:中学生のときにたまたまコンクールで優勝できたから、自分のソロコンサートを開いて、そこでようやく普通のお客さんの前で演奏できたの。そしたら、普段どおりに弾いているのに、聴いているお客さんの頭の上に「?」が浮かんでいるのに気づいて。 松永:「賞レースと市場が離れていく」現象ですね。DJでもむちゃくちゃあります。世界で名誉ある賞を取った人が音楽市場に行き、「どうですかこれ、すごいでしょう?」ってやっても、お客さんはポカンっていう。
清塚:私にとってピアノは人とつながるためのツールだったから、弾いて逆にお客さんと距離ができちゃっているのがすごく怖かったんだよね。そこで、クラシック的にはNGだけど、演奏前に言葉で曲の説明をするようにした。「これは、ショパンがこういう心境と状況のときに作った曲です。そういうつもりで聴いてください」って。それをやったとたんに、お客さんの「?」が目に見えてなくなっていくのがわかったんだよ。高校生くらいだったかな? これを続けていたら、高3くらいから笑いが欲しくなっちゃって。 松永:清塚さんだなあ(笑)。俺が高校入った頃なんて、まだ音楽じゃなくてサッカーやっていましたよ。でも俺、サッカーめちゃくちゃ下手で。高校に入って、他校とやる1年生同士の練習試合でスタメンに入れなかったんで、そこで7年やったサッカーをやめました。頑張って練習してたんですが、報われなかったです。
清塚:そこから、ヒップホップに出会ってDJになるわけでしょ。それまでにはどんなことがあったの? 松永:洋楽は小学生の頃から好きで、ヒップホップに出会ったのは中学生のときです。最初は聴いていて共感することもないし、「なにこれ、めちゃくちゃ不良じゃないですか!」って思ってたんですよ。 清塚:行儀もよくないしね(笑)。
松永:中学生活は、いわゆるスクールカーストの底辺にもなりきれず、だからといってマッチョな連中や不良に入り切ることもできず。家にお金もないし、カッコつけたいが故にずっと全ての人からの目線を気にしている学生だったので。ヒップホップとラジオを聴くのが自分にとってのシェルターだったと思います。ヒップホップはクラスの誰も聴いていないし、アーティストは明らかに俺の知っている世界に住んでいる人じゃないんですよね。聴いている瞬間は現実逃避ができたんです。