「3人のTOKIOでこれから何する?」国分太一がTOKIO-BAで伝える森の循環
「『夏野菜』って言いますけど、もし育てるのを失敗したら、次にチャンスがくるのは来年なんですよ。米づくりもそう。そこで、『これは真剣に向き合わないと面白くないな』と燃えていったんです。そこから、だんだんと面白くなっていきましたね」
いっぽう、仕事だけでなくプライベートな「遊び」の面でも、先輩たちが新しい世界へといざなってくれた、と国分さんは話す。 「こんなに自然を好きになる前は、東京の街で遊ぶことも大好きでした。ある夜、プールバーでビリヤードを教えてくれてたおじさんが『お前、このビリヤード台はどこのかわかるか?』って言うんです。『え、台なんてどこだってよくないですか?』と答えたら『これはBRUNSWICKってすごく有名な台なんだ。そんなことも知らないで遊んでるのか』って」 それは、いわばビリヤードというカルチャーへのいざないだった。ビリヤード台ひとつにも歴史やストーリーがあり、知れば知るほど奥深い世界が広がっている。そんな風に、遊び上手なひとまわり上の先輩たちに、国分さんはさまざまなカルチャーを教えてもらった。 「タレントさんでいうと、(木梨)憲武さんとか、ヒロミさんとか。そういう遊びの達人に若い頃は憧れて、追いかけてました。でも、あるとき『このままでいいのかな?』と気づいたんです。この人たちがいなくなったら、俺たちは何なんだろうと。ただ享受するだけじゃなく、そろそろカルチャーを作る側に立たなきゃいけないんじゃないか、と思ったんです」 いつまでも教わる側でいるのではなく、いずれは次の世代へ伝える立場へ。そんな危機感は、農業をはじめとする第一次産業においても感じるようになっていた。 「福島のじいちゃんやばあちゃんが当たり前にやっていたことも、誰かが伝えないと失われてしまう。その役割を背負うタイミングは間違いなく来てるのかな、と思います。自分が感じてきた先輩たちの『かっこよさ』を次の世代へ伝える、って感じなのかな。福島のじいちゃんやばあちゃんの『生きる力』は尋常じゃなかったので、あのエネルギーを皆さんにも共有したい、と思ったんです」