「3人のTOKIOでこれから何する?」国分太一がTOKIO-BAで伝える森の循環
3人になった「第二の人生」で、新しい挑戦をすると決めた
「元々は5人だったTOKIOが3人になったとき、『TOKIOとしてこれからどうするか?』を城島さん、松岡さんと話し合いました。3人のまま、何となく続けていく道もあったと思います。でも、やっぱり僕らTOKIOは色んなことにチャレンジしてきたグループだし、そのスピードを緩める必要はないんじゃないか、という結論になりました」 元々、アウトドア好きだった国分さん。「思いっきり遊べるアウトドアのフィールドが欲しい」という思いに、先輩たちからの学びを下の世代に渡すという夢も合わさり、「TOKIO-BA」の構想が生まれた。 DASH村をきっかけに、福島とは深い縁のあるTOKIO。東日本大震災の後も、福島県産の農林水産物のPRに尽力するなど、福島へ心を寄せ続けてきた。だからこそ、新しいフィールドづくりにおいても「TOKIOは福島からはじめないとダメでしょう」という想いがあったという。福島で候補地を探すなかで、この西郷村の土地と出合い、2022年にTOKIO-BAはオープンした。 「はじめて3人で土地の見学に来たときは、とてもワクワクしました。僕たち自身、3人で会社を設立したとき、TOKIOとしての『第二の人生』がはじまったと思ったんです。なので、TOKIO-BAのテーマも『第二の人生を楽しむ』。この広いフィールドには、そのテーマがいろんなところに散りばめられています。
例えばTOKIO-BAの看板は、廃校になった福島の学校にあった黒板を再活用しています。TOKIO-BAのロゴを入れ、ここに来た人たちを出迎える、大事な役割を担ってもらいました」
「また、TOKIO-BAのシンボルツリーも廃校になった学校から譲り受け、移植したものです。誰にも見られなくなった木に、もう一度ここで主役になってほしい、という想いが込められているんです」 アイドルとして走り続けてきた3人が手に入れた、TOKIO-BAという自由なフィールド。人生の先輩たちからの学びを、彼らは一体どのようにしてTOKIO-BAで伝えようとしているのだろうか?