「わたしたちは、いつまで人間でいられるのか?」8つのテクノロジー短篇の試み(宮内悠介『暗号の子』あとがきより)
ペイル・ブルー・ドット
2022年の3月、『トランジスタ技術』誌の編集部より呼び出しがあった。恐れていたことが起きたと思った。というのもぼくはかつて、「トランジスタ技術の圧縮」という同誌を扱った短編(『超動く家にて』所収)を許可もなく発表していたからだ。が、編集部は寛容で、実際に求められたのは七百号記念の続編であった。その後、2024年に「世にも奇妙な物語」で「トランジスタ技術の圧縮」が映像化された。それを記念して『トランジスタ技術』誌のかたがたと食事をした際、今度は宇宙をやりたいと、宇宙ものの執筆を依頼いただいた。 掲載は同誌の2024年12月号。 ぼくは基本的に媒体を意識して書いていて、「行かなかった旅の記録」は文芸誌であってこそだし、「最後の共有地」は『WIRED』がなければ生まれなかったと思う。器が生み出す偶然性を大事にしていると言ってもいいだろう。というわけで、『トランジスタ技術』にしか掲載されえない、そういう本来ならありえないような小説を目指してみることにした。 そうするとマニアしか理解できない代物になりそうなものだが(実際、なんの説明もなくマイコンボードの名前とかが出てきたりする)、どういうわけか、本書のなかでもおそらく一番読みやすい、しかも爽やかさを残す話となった。 * かつて大森望さんがSF作家を「クラーク派」と「バラード派」に分類したことがある。前者はアーサー・C・クラークの諸作品に代表されるような、科学と人類の可能性を信じる人たち。後者はそれをせず、J・G・バラードのような終末を描く人たちだ。それで言うと、ぼくは断然バラード派だった。それは科学を信じていなかったからというより、単純に、科学技術のもたらす退廃的な暗い世界観を美しいと感じていたからだった。当の本人は、子供のころからプログラミングで遊んでいたり、むしろ楽しい側面を享受していた。 この感覚が変わったのが2016年。アルファ碁対李世乭(イセドル)戦で、AIが囲碁のトッププロを破ったときだ。こうした棋戦は人と車が速さを競うようなものだから特に意味はないと言う人もいるが、ぼくにとっては違った。碁が好きで碁の物語でデビューした身としては、アルファ碁には大切な何かを奪われたと感じたし、そう思う自分の感情を誰かに明け渡すつもりもなかった。かくして、いまさらのようにテクノロジーそのものが新たなテーマとなった。退廃的な暗い世界観は、美である以上に、脅威となった。 では、ますますバラード派になったのかと言えば、そうではない。 麻雀漫画の『打姫(うたひめ)オバカミーコ』に、こういう台詞がある。 「右へ行き過ぎれば無謀の谷へ落ち/左へ行き過ぎれば臆病の谷へ落ちる」 麻雀というゲームを尾根道に喩え、勇気を出しすぎると無謀の谷に転落し、慎重になりすぎると臆病の谷に転落するというのだ。「左右ギリギリまで使って歩く奴が強く/だが一歩でも過ぎるとたちまち落ちる」とも語られる。これは麻雀の話だけれど、科学技術に対する姿勢にも置き換えられると思う。楽観の谷に落ちても、悲観の谷に落ちてもおそらくは何かが見落とされる。だから両側の谷を見据えつつ、左右ギリギリまで使って歩いてみたい。 最後になってしまいましたが、作品の収録を快諾いただいた各社の編集部に感謝の意を表します。そして、いまこれを手に取ってくださっているあなたにも。 2024年10月 宮内悠介 「あとがき」より
宮内 悠介/文藝出版局