「わたしたちは、いつまで人間でいられるのか?」8つのテクノロジー短篇の試み(宮内悠介『暗号の子』あとがきより)
偽の過去、偽の未来
初出は『Kaguya Planet』というSFレーベルのウェブ媒体で、発表は2021年の9月。 ちょうどこのころ、テクノロジーを扱った短編集を将来出したいと考え、プロトタイプ的に今後扱いたい諸要素をいろいろとちりばめてみることにした。だからその意味では、「暗号の子」と対をなす掌編ということになる。 この当時、「2050年を予測して書いてほしい」といった依頼が多くあったことが、作中に影を落としている。『指輪物語』や「ダンジョンズ&ドラゴンズ」はその反対、ノスタルジーを象徴するものとして登場させた。現代のテクノロジーに大きな影響を与えた一人、ピーター・ティール氏もそれらが好きだったということはあとで知った。こういうふうに、無意識のうちにピースが嵌まるような瞬間があるとテンションが上がる。
ローパス・フィルター
この作だけ少し古く、初出は『新潮』の2019年1月号となる。本作を「テクノロジーもの」の起点にしようと考え、ここまで温存してきた。 ローパス・フィルターはさまざまな分野で用いられるが、ここでは楽器のエフェクターを意識している。つまり、2017年に書いた「ディレイ・エフェクト」のシリーズということだ。いまのところこの二作以外にないけれど、思いついたらまたやるかもしれない。 作中で描かれるSNSのはらむ悪については、いまとなっては定番の感がある。 が、当時のぼくにとっては切実だった。それは、ぼくがインターネットに悪が潜むことを認めつつも、長いこと素朴にエンジョイしてもいたからだ。SNS――というかそれがもたらす社会の分断は、まだ現代のように大前提ではなく、このころはいわば黒船めいた脅威として感じられた。だからか、作中ではかなり過激な部類のSF的発想が現れたりもする。 本作を起点と位置づけるにあたって、技術の進歩は予定外だった。このころはディープラーニングといった用語がまだ新しく、ChatGPT とかは当然なかった。何より皮肉なのは、作中で描かれるSNSの悪が、しかしながら、いまのそれよりも穏当に感じられることだ。 なおここに登場する針生という名前は過去作にも出てきて(暇な人は探してみてください)、スーパーエンジニア的な人を出すとき、その役を担ってもらっている。人物設定は毎回異なる。つまり、ぼくとしては珍しいスターシステムであったりする。