「わたしたちは、いつまで人間でいられるのか?」8つのテクノロジー短篇の試み(宮内悠介『暗号の子』あとがきより)
最後の共有地
2021年ごろ、ひいきの美容師さんが暗号通貨やNFTに嵌まっていた。それでぼくも興味が高まり、実際に取引をしたり、ブロックチェーンをはじめとした一連の技術を調べたり、暗号通貨を採掘するプログラムを組んでみたりした。 そこに『WIRED』誌から短編の依頼をいただいた。テーマは、「宇宙×コモンズ(共有地/知)×合意形成」というもので、企画書を読むと、合意形成を「TRUST」という切り口から追う、といったようなことが書かれていた。 ちょうど、暗号通貨を用いて複雑な合意形成を実現できないかといったことを考えていた。また、作中で「トラスト」という用語について皮肉を述べているが、これはお題を受けてそう書いたのではなく、前年の末にふと思いついてSNSに記したものであったりする。要は、いい具合に双方の関心が一致していた。それで、ひょいとこの短編もできた。 意図せずひょいといい具合のものができることがあって、この短編はそれにあたる。少なくとも、自分らしい作だとは感じている。初出は、同誌の2021年9月発売号(vol.42)。「偽の過去、偽の未来」と同時期に書かれたので、同じアイデアが姿を変えて登場する。これについてはもっと反復する予定だったのだけれど、さすがにワンパターンかなと思ってやめた。
行かなかった旅の記録
新型コロナウイルスがまだ猛威を振るっていた2021年の夏、紀行文の依頼をいただいた。ステイホームのなか、せめて文章のなかだけでも旅に出たいということだ。架空の旅でもよいという。依頼のあった5日前、8月20日に伯父の葬儀があった。それで、「ネパールに行ったことにした」というていで、ネパールを旅しながら伯父を思う紀行文を書くことにした。 ブロックごとに日付がついているのは、一つには、コロナ禍があったから実際には行けなかったということを明らかにするため。もう一つには、現実に伯父がこの時期に亡くなったことを忘れず記録したい気持ちがあった。 初出は『文學界』の2021年12月号。 その後、年刊アンソロジーの『文学2022』にも収録いただけた。 思いのほか筆が滑らかに運び、普段書かないような本音とか、言わないほうが賢明かなと思って伏せていたこととかが、わりと自然な調子で現れたりもした。これまで、ぼくは自然に本音を書くということがあまりできず、むしろ逆説とか皮肉とか韜晦とかが多かった。でも本当はこういう文章を書きたくて、だからその意味では理想に近いものとなった。何かをつかんだかもしれないと期待したが、いまのところ、この方向性の再現はできていない。 テクノロジー短編ではないかもしれないが、これをここに置くとなんとなく収まりがいい気がする。それで、根底には共通する部分があると考え、このたび収録することにした。