「わたしたちは、いつまで人間でいられるのか?」8つのテクノロジー短篇の試み(宮内悠介『暗号の子』あとがきより)
明晰夢
書いたのは2022年の12月。このころぼくは鬱の底にいて、というのも集中力や記憶力が急激に下がり、以前のように書けなくなっていたのだった。どうやって書いていたのか、それすら思い出せずに困っていた。スランプ克服法みたいな本を何冊か買ったけれど、すべてスポーツに関するもので、ぼくのような虚弱な文化系人間にあてはまる内容ではなかった。 廃業を覚悟し、他業種の求人を見たりもした。この短編を書き終えたあと、12月23日には念のため脳ドックに行っている。本作はそういう状況下に書かれたもので、だからある意味では、興味深いサンプルだとも言える。 初出は『群像』の2023年4月号。 鬱状態で書いたものだから、できたときは当然、失敗作を書いてしまったと思った。が、その後に読み返したら意外と面白く、年刊のアンソロジーである『文学2024』にも収録いただけた。実際、書いた側の自己診断というのはあてにならなくて、自信作のつもりが、あとで読み返したら凡作だったことも多い。なんにせよ、無理やりにでも書いてみるものである。 ウェインやクインといった名前、それから終盤のよくわからない会話の一部は、チェスタトンの『新ナポレオン奇譚』から引いている。これは昔インド旅行中に夢中になって読んだもので、たぶん、書きあぐねたからこそ原点に立ち返ろうとしたのだと思う。というわけなので、「またチェスタトンかよ!」という点には目をつむってもらいたい。 この短編が厄払いになったのか、その後『ラウリ・クースクを探して』という長編ができた。最高作だと言ってくれる人もいたし、丸くなって何かを失ったと指摘する人もいた。結局なんだったのかというと、たぶん、人が年齢を重ねるという、そういう現象が起きたのだと思う。
すべての記憶を燃やせ
早川書房『S‐Fマガジン』の企画で、小説家がAIを使って掌編を執筆するというものがあり、興味を示したところご指名いただけた。掲載は2023年の6月号。執筆には「AIのべりすと」を使っていて、ぼくが実際に書いたのは全体のうち5行くらい。それ以外は、すべてAIが書いた。ざっと計算したところ、98.7パーセントくらいはAIが書いたことになる(ただ、設定やキャラクターなどはこちらがあらかじめ指定した)。 先にこの企画に挑戦した小川哲さんが時間がかかったと言っていたので、面倒を避け、3時間くらいで完成させられるプランを立て、3時間くらいで完成させた。大枠としては、川又千秋さんの『幻詩狩り』のように、読んだ人間をおかしくさせる詩があるという設定にする。こうしておけば、多少おかしな文章になってもそれっぽく見えるだろうということだ。 「AIのべりすと」には詩人の機能があったのでそれも使った。ロートレアモンを学習させたかったが、日本語訳が著作権切れになっていなかったので、原文を機械翻訳で日本語にしてそれをそのまま放りこんで学習させた。地の文については、ぼくのデビュー作である『盤上の夜』を学習させてみた(だから共通する固有名詞が出たりする)。 ぼくは反AI派とまでは言わないまでも、AIには人間の尊厳を奪い取る側面があると考えているので、絶対に負けずにうまく使いこなしてやると妙な意地をはっていた。が、こちらの予想を超えてきた一文もある。ぼくが「柳田碧二の死因は墜死である」と手で書いたあとに、それにつづく文章としてAIが提示した、「彼は自らの命を賭して巨大な隕石を打ち落としたのだ」がそれだ。