国産小型車の転換点だった2019年 世界トップの性能水準に
今年も残すところわずかとなった。この時期になると各媒体から、今年の振り返りと、新年の展望について書いてくれという依頼が、次から次へとやってくる。同じネタを書き分けようと思えば何本でも書けるのだが、それはあまりやりたくない。本命の話はいいとこ2ネタくらいしかない。 【動画】「GAFA vs トヨタ」? バーチャルとリアルの戦いの実相
今年のトピックは何かと問われれば、国産コンパクトクラスの性能が、ついに言い訳なしに欧州車の水準に到達したことと、自動車にとっての最重要マーケットが中国ではなくなりつつある話の2つだろう。本稿ではコンパクトカーの話を取り上げたいと思う。(モータージャーナリスト・池田直渡)
日本のクルマはどうやって競争力を付けたか?
かつて、日本のクルマは欧州車の足元にも及ばなかった時代があった。その構造を覆す遠因になったのは、1970年代前半に北米で本格化した衝突安全と排ガス規制だった。ところが第2次世界大戦後、北米への進出を進めて来た欧州各社にとって、衝突安全も排ガス規制も欧州各国には存在しない。北米マーケット(と日本)だけの特殊な事情であった。 振り返れば、自動車を大衆のものにしたのはT型フォードであり、欧州のクルマは少し高性能寄りの、つまり高付加価値商品として北米ですみ分けを図っていたのだが、衝突安全対策で重量が増え、排ガス規制への対応でパワーダウンし、売り物の高性能が怪しくなっていった。 当時の欧州メーカーは労働争議や品質管理の問題を抱えて四苦八苦していたところに、オイルショックで追い打ちをかけられ、商品リニューアルもままならない状態にあった。とてもではないが、北米というローカルマーケットの排ガス規制に本腰を入れた対策を行うモチベーションは湧かない。その上、内心ではアメリカを田舎者と見下しており、アメリカが訴えた排ガス規制がやがてグローバルな問題になるとは全く考えていなかった。そうやっているうちに対応が後手後手に回った。 後に日本人が「エコノミックアニマル」と馬鹿にされ、中国人が「爆買いする下品な観光客」と蔑まれたように、欧州で、日本人の前にバカにされていたのはアメリカ人だった。経済発展の途上ではどこの国も通過することで、起こりがちな差別だが、欧州の自動車ビジネスは、そういう認識とビジネス上の判断を切り離せないと失敗するという見本になってしまった。