国産小型車の転換点だった2019年 世界トップの性能水準に
世間的には自動車販売の不振が伝えられてきたようにみえるが、そもそもこの5年ほどの間、国産車は目覚ましい進歩を遂げ始めていた。何が変わったのかといえば、ハンドル、アクセル、ブレーキという3つの操作インターフェースが良くなるとともに、それらのインターフェースの操作感が統一されてきている。テイストや質感を揃えることをマスターし始めたと言っても良い。
過渡領域のフィールの圧倒的な改善だ。ハンドルを切り始めた時、アクセルを踏み始めた時、そこから切り増したり踏み足したりした時のリニアリティが従来にないレベルに達した。操作系におけるリニアリティとはかなり難しい概念だ。一般的には操作に対して比例的に結果が得られることを意味する。しかし、人がリニアに感じるということはもっと複雑だ。 ベースにはリニアリティの真摯な研究があった。数学の比例のようにx軸とy軸が1:1の関係にあればリニアかといえば、数学的には正解だが、人間の感覚的には正解ではない。たとえばテーブルからカップを持ち上げてコーヒーを飲むとき、人は自然に、カップをゆっくり持ち上げて徐々に加速させ、口に近づいたらまた減速する。 こういう動きをロジスティック曲線とかベルカーブとかいうが、そういう動きこそを人はリニアに感じる。そういう「人にとってのリニア」を本当に理解するまでに長い時間がかかった。実際昨今メーカーのエンジニアと話していて、「人にとってのリニア」について説明する必要がなくなったが、少し前まで「リニアリティの話はマニアックな話」だと考えるエンジニアも少なからず存在した。
ゆっくり走る時こそ大事なハンドリング
さらに、そういう操作系のデリケートなセッティングが生きてくるためには、強固なボディが必要だ。先ほど挙げたカップの動作をグラグラしたバランスボールの上でやれと言われてもできない。つまりクルマでいうと、シャシー剛性を高める技術がようやく一定水準に達したために、リニアリティの話が普通に俎上に載るようになったのだ。 シャシー技術が発展するためには意識改革が必要だった。安く作るか、良いものを作るか。従来はこれが対立的に考えられていた。だから並みの性能のものを安く作るか、高性能なものをコストを掛けて作るかに分かれてしまっていた。しかしようやく、この対立をブレークスルーして、性能の良いシャシーを安く作るという概念と技術がメーカーの中で確立したのだ。 もう一つ、これこそマニアックな話かもしれないが重要なポイントがある。それはサスペンションのブッシュに関する技術だ。クルマは4つのタイヤがグラグラしていてはいけない。ハンドルを切っていないのに勝手にフロントタイヤの向きが変わるクルマは運転できない。だから首振り機構などを持つ金属部品でがっちりボディと結合したい。リヤタイヤだって首振り機構がないだけで同じことだ。 だがしかし、それだと乗り心地がとんでもないことになる。だから、間にゴム製の緩衝体を持つブッシュを挟んで、音や振動を吸収してやらなくてはならない。吸収のためには可動域が必要で、ゴムがたわむ領域があってこそ音と振動を吸収できるのだ。しかし、そういうたわみ領域を持てば、当然それだけタイヤの位置決めが揺らぐ。ハンドル操作もしていないのにタイヤの向きが微細に変わることを防止できない。 しかし、それこそレーシングカーならともかく、市販車はゴム・ブッシュなしでは成立しない。たとえばゴムの代わりに金属製のボールジョイントなどを用いれば、音と乗り心地が酷くなるだけでなく、数千キロ毎にジョイント交換するしかなくなってしまうのだ。 乗り心地とハンドリングをどうバランスさせるかが、これまではゼロサム(総和が同じなかでどちらにリソースを振るか)で考えられてきた。それを解決したのが「指向性ブッシュ」である。特定の方向のみにたわみを与え、それ以外の方向にはたわませない。このブッシュがなければ、これだけ大きな性能向上は果たせなかっただろう。 ボディ剛性にしても、ハンドリングとかパワートレインのレスポンスにしても「レースをやるわけじゃないから関係ない」という人がいるが、むしろレースならフィールなんてどうでも勝てれば良いのだ。まあ現実的にはフィールのダメなクルマで勝つことは難しいかもしれないけれど。 街中を走る時であってもフィールが大事だ。例えば靴の中にホンの小さな小石が入っているとしよう。それを「陸上競技をやるわけじゃないから関係ない」と言う人はいないだろう。気になるモノ、特に不愉快なものは集中力を著しく削ぐ。そして街中には、注意を払わなくてはいけないものが沢山ある。そういう最中に思うようにならないハンドルやアクセルというハンデを抱えて運転するのは、あまり良いことではない。後顧の憂いなく運転できる自然な操作系は大事なのだ。 一例として、ハンドリングはタイヤをギャーギャー鳴らして走る領域の話ではなく、ハンドル外周で数ミリ動かす領域でクルマにどのように反応が起きるかの方が重要だし、パワートレインのレスポンスだって、全開加速の話ではない。むしろおじいちゃんの運転するトロトロ運転のクルマの後ろで、あと50センチ車間距離を広げて、そこで速度を合わせたいというような、ごくごく普通の状況で容易に意思通りに加減速がコントロールできるかどうかの話なのだ。 そういう質的な話と量的な話が割と混同されがちなところがこの議論の難しさだ。お米がつやつやとキレイな粒立ちで炊けていて、弾力と甘みがちゃんと出ているかという議論に対して「大学の体育会じゃないからご飯はそんなに山盛りはいらない」とコメントが入っても困ってしまう。 道具としてのクルマがドライバーの微細な制御をどれだけ正確に受け付けるかということについて、今年日本のクルマは大きな進歩を遂げた。