日本人は本当にNHK紅白を欲しているのか…平成元年の「打ち切り騒動」以来35年ぶりに番組を襲う根本的な疑問
■目玉は番組に縁の深い大物たちの復活 さらに世相とヒット曲を絡めた構成は続く。韓国の釜山からの引き揚げ船のニュース映像が流れると田端義夫の「かえり船」(1946)、1964年の東京オリンピック開会式の映像には三波春夫が歌う「東京五輪音頭」(1963)といった具合だ。 「紅白」の名場面集として、坂本九や山口百恵などの映像も流れた。また森光子や黒柳徹子、山川静夫や鈴木健二ら歴代の司会者たちが登場し、思い出を振り返りながら春日八郎「お富さん」(1954)やペギー葉山「南国土佐を後にして」(1959)を紹介する。またこの年6月に亡くなった美空ひばりの盟友である雪村いづみが「愛燦燦」(1986)を歌う場面もあった。 このあたりはまさに、戦後と「紅白」の歴史を回顧するというコンセプトに沿っている。だがそれだけではない。第1部の目玉となったのが、「紅白」に縁の深い大物歌手たちの“復活”だった。 まず登場したのは、ザ・タイガース。リードボーカルに沢田研二を擁し、1960年代後半GSブームの中心的存在として10代女性に熱狂的に支持された。 ところが、当時タイガースは「紅白」には出られなかった。彼らのトレードマークである長髪が不良の象徴、公序良俗に反するとされたからである。いまから見るとウソのような話だが、本当の話である。代表曲「花の首飾り」(1968)と「君だけに愛を」(1968)の2曲を披露。 ■「今日この日のためだけのステージでございます」 まず登場したのは、1970年代に一大ブームを巻き起こしたピンク・レディー。「ペッパー警部」(1976)、「UFO」(1978)、「サウスポー」(1978)の3曲メドレーである。 ピンク・レディーの出場は1977年以来12年ぶり。「ペッパー警部」もそうだが、「UFO」と「サウスポー」という誰もが知る大ヒット曲も『紅白』では初演だった。というのも、1978年は大晦日のチャリティ番組出演を理由に出場を辞退していたからである。この番組は、日本テレビで生放送。つまり、『紅白』に対抗する裏番組だった。そのあたりの経緯もあって、出場は途絶えていた。 続いての登場は、ザ・タイガース。リードボーカルに沢田研二を擁し、1960年代後半GSブームの中心的存在として10代女性に熱狂的に支持された。 ところが、当時タイガースは『紅白』には出られなかった。彼らのトレードマークである長髪が不良の象徴、公序良俗に反するとされたからである。いまから見るとウソのような話だが、本当の話である。代表曲「花の首飾り」(1968)と「君だけに愛を」(1968)の2曲を披露。 そして復活組のトリを飾ったのが、都はるみだった。 都はるみは「北の宿から」(1975)など数々のヒット曲を持つ演歌の大スター。しかし、1984年に歌手を引退。その最後のステージになったのが同年の「紅白」だった。その際、番組史上初のアンコールが会場から沸き起こり、その声に応えて司会の鈴木健二が「私に1分間、時間をください」と言って都を説得した場面は有名だ。そのフレーズは流行語にもなった。 そんな都はるみが、一夜限りの復活を果たしたわけである。松平定知が「ここで終わるわけにはまいりません。今日この日のためだけのステージでございます」と満を持して紹介すると、せり上がりで都が現れ、「アンコ椿は恋の花」(1964)のイントロが。都はるみは所狭しとばかりにステージ上を動き回り、熱唱したのだった。