日本人は本当にNHK紅白を欲しているのか…平成元年の「打ち切り騒動」以来35年ぶりに番組を襲う根本的な疑問
■「紅白」→「アジア音楽祭」という構想 続く第2部「平成の紅白」。ここは例年通り、その年に活躍した歌手のステージとなる。ただ、そこにも変化があった。 もちろん、工藤静香、中山美穂、Wink、荻野目洋子、少年隊、男闘呼組、光GENJIらのアイドル勢、八代亜紀、小林幸子、石川さゆり、和田アキ子、沢田研二、細川たかし、五木ひろし、森進一、北島三郎らの常連大御所組もいた。 だがその一方で、歌謡曲以外の分野の歌手も出場した。この年人気長寿番組の「ザ・ベストテン」(TBSテレビ系)が終了するなど、音楽番組全体が大きな転換期にさしかかっていた。その波は「紅白」にも押し寄せ、クラシック、民謡の歌手も出場。さらにはミュージカルから市村正親が出場して「オペラ座の怪人」を披露した。 また「21世紀に残したい歌」というのもひとつのコンセプトになっていた。由紀さおり・安田祥子姉妹が歌った「赤とんぼ」もそのひとつ。後に由紀は、同曲で1992年の「紅白」のトリを務める。童謡でのトリは史上初のことだった。 もうひとつの変化は、国際化の波である。 繰り返しになるが、1989年はベルリンの壁が崩壊した年である。そうした歴史の流れは翌年のドイツ統一へと至り、長く続いた冷戦体制が終わりを迎える。 こうした国際情勢を踏まえ、島会長の意向を受けたNHKでは「紅白」に代わる番組として「アジア音楽祭」を考えていたとされる。1989年の「紅白」に韓国や香港で活躍する歌手が複数組出場したのも、その流れが背景にあるだろう。 ■ドイツの中心で長渕剛が叫んだ「日本人、みんなタコ」 島会長は、1990年も「紅白」を終わらせることをあきらめたわけではなかった。「新企画をずっと練っていたが、時間切れで断念したため、例年通り紅白を行う。ただし(中略)地球規模で紅白をつくるようにと現場サイドには注文した」と島は定例会見で語った(前掲『紅白歌合戦の真実』)。 その意向は、1990年の「紅白」に大きく反映された。 まず出場歌手のさらなる国際化。ポール・サイモン、シンディ・ローパーが出場。さらにモンゴル、フィリピンの歌手たちも出場するなど、顔ぶれはぐんと国際的になった。 そしてもうひとつが、この年が初出場だった長渕剛のベルリンからの生中継である。いまはよくあるが、出場歌手が中継先から歌うのは、番組史上初のことだった。 ここで有名な「いまの日本人、みんなタコですね」発言が飛び出す。司会の松平アナから「寒いでしょう? そこは」と呼びかけられた長渕は、「いやあ、寒いも暑いもねえ。現場仕切ってるのドイツ人でね。いっしょに闘ってくれる日本人一人もいませんわ。いまの日本人、みんなタコですね」と返し、なんと約17分にわたり「乾杯」など3曲を歌ったのだった。 長渕としては制作現場の不満を訴えたかったのだろうが、「日本人、みんなタコ」という表現のインパクトは強く、大きな波紋を呼んでしまった。NHKにも、「感動した」という声に混じり「日本人をタコとは何事か」という批判が多数寄せられる事態になった。