日本人は本当にNHK紅白を欲しているのか…平成元年の「打ち切り騒動」以来35年ぶりに番組を襲う根本的な疑問
■今に続く2部制はこうして始まった そうした事情を受け、この年初めて導入されたのが2部制である。それまでは、午後9時から11時45分までの放送のみ。そこに午後7時から8時55分までを第1部として新たに設け、従来の午後9時からのパートを第2部としたのである。 「いまと同じではないか」と思うひともいるだろう。しかし、ただ単に放送枠を拡大したわけではない。第1部を「昭和の紅白」、第2部を「平成の紅白」と銘打ち、内容をはっきり分けた。 「紅白」が40回という節目を迎え、それがちょうど昭和から平成への移行と合致していたこと、そしていうまでもなく、島会長の発言を受けて「今年で最後」になる可能性が出てきたことがそこにはあっただろう。だから第1部は、昭和という時代だけでなく、「紅白」という番組の歴史もあわせて振り返る企画になったのである。 このことは、波紋を引き起こした。 その頃第1部の放送時間には、毎年TBSで「輝く!日本レコード大賞」が生放送されていた。局は異なるものの、大晦日にその年の集大成となる2つの音楽番組が連続していることで視聴率的にも相乗効果が生まれ、1988年も21.7%という数字をあげていた。 ■「レコ大」が受けた思わぬ余波 ところが、「紅白」の第1部がいきなり裏に来た。TBSにとっては寝耳に水である。当然慌てた。だが記念すべき40回めで元号も変わったタイミングということで1回限りの特例と受け取ったTBSは静観した。ただ視聴率は14.0%に。 しかし案に相違して、翌年からも「紅白」は2部制を続けた。それによって「日本レコード大賞」の視聴率は下降線をたどり始める。そして2006年には、とうとう大晦日の放送から撤退することになった。 そんななかで幕を開けた1989年の「紅白」。紅組司会は三田佳子、白組司会は武田鉄矢、そして総合司会はNHKアナウンサー(当時)の松平定知である。 第1部のオープニングは、東京タワーの映像から。1958年竣工の東京タワーは戦後日本の復興の象徴であり、テレビの電波塔でもあった。「昭和の紅白」のスタートにぴったりというわけだ。 そして出場歌手全員が歌いながら登場。曲は、笠置シヅ子の「東京ブギウギ」(1948)。笠置が主人公のモデルになった朝ドラ「ブギウギ」(2023年放送)でも描かれたように、敗戦に打ちひしがれた日本人が明るさと希望を取り戻すきっかけになった大ヒット曲だ。