「今は弱音を吐くこともできる」元日本テレビアナウンサー・上重聡、十字架を背負った4年間 #今つらいあなたへ
2000年秋のリーグ戦、東京大学戦で先発した上重はヒットも出塁も許さない完全試合を達成した。日本で最古の大学野球リーグである東京六大学で史上2人目の快挙だった。 秋季リーグ戦で5勝を挙げた上重。イップスを克服したかに見えたが、この後、「あの完全試合の上重」というプレッシャーに苦しめられることになった。 「スカウトの方からも『2年後が楽しみだな』というメッセージをもらっていました。でも、そこで違う十字架を背負ってしまったのかもしれません。完全試合よりすごい記録はないんですけど『いいピッチングをしないと』というプレッシャーをかけて……自分を苦しくしてしまい、また、イップス気味になりました」 さらに、3年生の秋季リーグ戦前に右ひじを故障。以降、自分が思うようなボールを投げられなくなってしまった。 プロ野球で着実に白星を重ねる松坂だけでなく、和田毅、村田修一(日本大学)など同級生たちの活躍も目覚ましかった。
自殺を踏みとどまった女性からの手紙
この頃、上重は自身の将来について深く考えるようになった。 「右ひじを痛めて、以前のようなボールが投げられない。これではプロは難しいと思いました。大学に入るときに、『卒業する段階でプロに行けないのなら野球の道はあきらめよう』と考えていたので、テレビ局のアナウンサー試験を受けることにしました」 伝える側に回ることを考えたのは、高校時代の経験があったからだ。高校3年の秋に渡されたファンレターが心に残っていた。 「同世代の女性からの手紙でした。その人は自殺を考えていたそうなのですが、私たちの試合を見て、それを踏みとどまったという内容でした。『横浜に負けて、笑顔で甲子園を去る上重さんを見て生きる勇気が湧きました』と」 一生懸命に打ち込む姿は人の心を打つ。アナウンサーになれば、それを伝えることができると上重は考えたのだ。 「高校時代、自分の気持ちを取材者に伝えるという機会が数多くあり、思いを伝えることで救われる人がいることを知りました。そういうパワーを感じることができました」 2003年4月、日本テレビに入社した。 「野球の中継で先輩アナウンサーが使った言葉をすべて書き起こして、自分でしゃべってみることを繰り返しました。同じ文章、同じ言葉を使っているのに、どうしてこうも違うのかと驚くばかり。ずっと野球をしてきたので、どんな局面になっても慌てることはないだろうと思っていましたが、はじめは本当に失敗ばかりでした。 日本テレビには偉大な先輩がたくさんいて、アナウンス部全員で教育してくださいました。厳しい指導もありましたが、本当に環境に恵まれていたと思います」