「今は弱音を吐くこともできる」元日本テレビアナウンサー・上重聡、十字架を背負った4年間 #今つらいあなたへ
日本テレビを退社したきっかけ
その後、上重はプロ野球や箱根駅伝などのスポーツ中継に携わる一方で、情報番組の進行も任されるようになった。 「メインどころの仕事を任されるようになった頃、2022年5月に亡くなった先輩の河村亮アナウンサーに、『PL学園の1年生のときのことを思い出せ!』と言われたことがあります。新人のときのひたむきさがなくなったと河村さんには見えたようです。その言葉を聞いて、ハッとしました」 アナウンサーとしてキャリアを積めば、後進の指導の比重が大きくなる。スポーツの現場ではさらに重要な役割を任されるようになっていた。 「2019年にプロ野球日本シリーズの実況を担当させていただきました。2023年に初めて開幕戦を任され、野球中継のゴールというか、そこに到達できたことに対して達成感がありました。それが退社を決めたきっかけのひとつです」 2024年3月、21年間勤務した日本テレビを退社して、フリーのアナウンサーになった。 「この5月はあまり仕事がなくて、少し焦りはありました。自分に『ゼロからのスタートだから』と言い聞かせていたので大丈夫なはずだったんですが、ある日、帯状疱疹の症状が出ました。知らず知らずのうちにストレスを感じていたようです。 今は『仕事がありません』と堂々と口に出せるようになりました。弱音を吐くことで救いの手を差し伸べてくれる人も出てきました。フリーになったことでPL学園の1年生に戻ったような気持ちで、がむしゃらになって上を目指そうと考えています。そういう心境になれたのは、会社をやめるという決断をしたから。6月以降は、いろいろなお仕事をさせていただいています」
人に頼る勇気をもってほしい
環境が変わることでコンディションを崩したり、人間関係に悩んだり、壁にぶつかったりする人はたくさんいる。そんな人に上重はこんなメッセージを送る。 「自分の悩みとか、心の奥にあるものをさらけだすのには勇気がいります。でも、そうすることによって状況が好転した経験が私にはあります。強がったり虚勢を張ったりするよりも、人を信頼し、頼ることでいい方向に進む。『困っている』というメッセージを送ることで、解決の手段やヒントに出合えるはずです。そういう勇気を持ってほしい」 今年の5月で44歳になった上重は言う。 「私も10代の頃にはできませんでした。やっぱり、カッコ悪いと思ったから。でも、弱い姿を見せることによって開ける道もありますからね。 うまくいかないときこそ、マインドというか、心の持ちようが大事だと思います。逆に、そんなときが一番楽しいんじゃないでしょうか。フリーになって以降、『苦労を楽しもう』と言い聞かせています。しんどい時期に何を考えるのか、どうやって乗り越えるのかによって『その後』が絶対に変わってきます。今は、苦しい状況でも、いかに楽しみながら前を向くかを考えていますね」 そうすれば、きっと仲間が助けてくれると上重は思う。 「野球をしていたときに対戦した人、お世話になった人からオファーをもらうことも増えました。本当に、野球に助けられています。これまで、紆余曲折というか、波瀾万丈の人生を送らせてもらっているので、私の経験を人のために役立てられるように。『伝えること』でみなさんに貢献したいですね」