「定年後が見通せない」「どうせ私なんか何をやっても」と口にしがちな人こそが「最高の能力」を秘めているこれだけのワケ
私たちの寿命は徐々に伸び、団塊ジュニア世代は10人に1人が100歳を迎えるとも言われます。ですが、残りの人生がもう50年となると、「何をして生きていけばいいの?」と戸惑うのも事実。 老後資金は2000万で足りるの? 明らかに足りない場合、もしや80歳近くまで働き続けないとならない? ならばやはり「リスキリング」をしなければならない? しかし、「学習学」を提唱する京都芸術大学客員教授の本間正人先生は「学ばねばならぬというその気持ちそのものに、つらさがありませんか?」と問いかけます。「本来、学びとは楽しいことであり、努力をしなければならないことではないはずなのです」。 いったいどういうことなのでしょうか。
私たちはなぜ「学ばねば」といつまでも脅迫のように背負ってしまうのか?
――老後資金が足りないため、働き続ける必要がある。そのために新しくスキルを身に着ける学びが必要だ、というのが「リスキリング」だと捉えています。 そうでしょうか? 資本主義社会の中で、あらゆる労働は金銭換算されて評価されてきました。命を支えるということはお金に換えられない大切なことがらですが、「学歴」と「職歴」は社会の中で過大に、反対に「家事歴」「育児歴」「介護歴」は過小に評価されています。 社会を、地球をよくするという観点から、これらの経験は決して劣るものではありません。「家事」「育児」「介護」はまさに金銭に換算できない尊いことです。これらを続けてきた方には、私が5月に上梓した『100年学習時代』をぜひ手に取っていただきたいのです。いかにご自身のこれまでのご経験が胸を張れることかと気づくと思います。 従来「よい仕事」と評価されてきた時給と地位の高い仕事は、「言語情報処理能力」に立脚した仕事が中心です。弁護士、会計士、医師、政治家、大学の先生……。しかし、これらの仕事は今後の「AIと共存する社会」でその相対的優位性を落とします。例えば、従来なら高い報酬が約束されていたコンサルタントの企画書は、今後はAIで代替されていくからです。 ――そう聞いても、「何かしらリスキリングをしないと低賃金労働にあえぐ老後になりそう」という恐怖感があります。「下流老人」などの煽り言葉を目にするので。 コロナ禍で「エッセンシャルワーカー」という言葉が世に出ました。当時は主に、感染リスクを伴う対面の仕事という文脈で使われましたが、エッセンシャルとは元来欠かすことのできない大切なこと、命に直結する仕事なのだと思います。ごみ収集、飲食店、商品の販売などは、人の命を支えるために欠かすことのできない仕事なのだということです。 エッセンシャルワーカーの仕事こそはAIに代替できない、もっとも尊い仕事です。しかし離職を招くほどに待遇が悪いのも事実です。 そんなに重要な仕事なのなら「もっと給与を支払え」と言っていいのか? 圧倒的に需要が供給を上回る仕事ですから、経済原則にあてはめればもっと高い報酬を得てしかるべしです。にもかかわらず、たとえば保育士には給与相場のようなものがあり、この仕事は安くて当然だという固定観念がいまだに社会の中に存在します。 「誰にでもできる仕事だから」と言われることがありますが、じゃああなたにできるのですか。そういういうことだと思いますし、いずれ是正されていくと考えています。