「定年後が見通せない」「どうせ私なんか何をやっても」と口にしがちな人こそが「最高の能力」を秘めているこれだけのワケ
「推し活」も「料理」も学びそのもの。学ぶということの定義を考えなおすべき時代がきている
――仮に余計な思い込みを捨てられたとして、どのようなことから学び始めればいいのか。何かしたいけれどどうすればいいのか、気持ちが焦ります。 まず、「学び」は学校で取り組んできたような「学問」に限らないという認識変更からスタートしてください。意外かもしれませんが、「推し活」も学習の一部です。席の取り方ひとつでも、このタイミングでこう確保するとよい席がとれるというワザがあります。また、時間とお金を管理する能力の高い人は遠くのコンサートを掛け持ちできるため、活動パフォーマンスが明らかに高い。つまり、「学び」という分野には「生活」と同じくらいの幅と深さがあります。 お料理、買い物なども最大の学びの一つです。仮にお料理を習ったことがなくても、毎日作り続けている人のお味噌汁がプロよりおいしいということはザラに起きます。これこそが、その人なりの自己ベストの更新を続けてきた価値だと思います。 男女共同参画が叫ばれていますが、政策決定に関わる地位にある人の多くが男性で、家事も育児も経験してこなかったのが現状です。少子化対策のためには男性の家事能力を高めることがとても大切なのに、政策上、ほとんど無視されています。 女性をふくめて、国会議員は家事・育児をしている人が極めて少ないうえ、女性議員も男性社会に適合して仕事に打ち込むほど評価されてきたため、なかなかルールが変わらないのです。議員は衆参両院で700人以上いますが、育児をしている女性はほとんどいません。学びの価値基準そのものを時代に合わせて変えていかないとなりません。 ――こうした「自分にあった学び」を探すために、最初にやってみるといいことは何でしょうか。TODOリストを作ってみたり? この第一歩が全員にふさわしいという共通解は、残念ながらありません。むしろ、こうした共通解があると感じることそのものが学校教育の弊害です。1年生が一斉にひらがなを学ばされた記憶ですよね。 推し活から始めても、自己分析から始めてもいいのです。たとえば、この夏休みに子どもがゲームや動画ばかりに熱中して勉強を全くしないとお怒りのお母さまは多いのですが、子どもが実際どのようなゲームをしているのかを詳しく把握している方は極めて少数です。 逆に考えてみてください。それだけ長い時間見続けられるのはなぜなのか。もしかして、「その奥にあるテーマ」がお子さんにとっての探求のテーマなのかもしれません。もしかしてお子さんは、動画の背景で人間関係の損得や駆け引きを見つめているのかもしれませんし、背後に流れる音楽に耳の焦点が合っているのかもしれません。こうしたテーマに着眼して対話してみることもいいのだと思います。 常に親の側が答えを持っていないとならないと思い込みがちですが、探求学習に於いてはこうして子どもを先生にすると見えてくるものがあります。ぜひいちど聞いてみてください。 ここまでの前編記事では「学習」という言葉が持たされてしまった意味についてを伺いました。つづく【後編】「何を始めても三日坊主でいつも続かない」とあきらめる人が「見落としている」最高の能力について伺います。
オトナサローネ編集部 井一美穂