逆方向への長打より得意だったもの。サインを出されて役割を実感・井口資仁さん 野球のレジェンド「名球会」連続インタビュー(42)
つなぎ役は自分が思い描いていたところと違った部分はありました。もっと自由にできたら、もう一度やり直せるんだったらっていうのはありますけどね。ただ、そういう役割も野球にはあるんだと知るきっかけになりました。ホークスの時もロッテの時もそうですけど、サインなんかほぼ出ない選手だった。2番の人とか8番、9番の人って結構こういう思いをしながら野球をやってんだなって。一球一球、ああ次はこうなんだって。これは指導者になって生きたんじゃないですか。 日本に34歳で戻って、まだまだ体が動けました。マー君(田中将大)がいてダルビッシュ有がいて、4年間でこんなに変わるんだっていうぐらい、すごいピッチャーが出続けてきたんだなって思いました。それもまた、対戦が楽しみではありましたけどね。 (2割9分7厘の)2013年は最後の頑張りだったんじゃないですか。日米通算2千安打の年です。一番気合入ってた時ですね。2017年の引退時は、やっぱりシーズンを通して出て、しっかり成績を残して終われたら最高だったかなと思います。ただ、チーム状況がかなり良くなかったので、早めに身を引く形になりました。 ▽良いことも悪いこともリセットできる長所
2千安打を打ちたいっていう目標はあったんですが、数字的に結構遠いなとは思ってましたよね。年間150本とか打たないと2千は抜けないんで。フォアボールも取ると3割近く打たないと150本を超えないですし、それでも10何年かかるわけじゃないですか。程遠い数字だなと思いながら、いつの間にか、あと何本っていう感じですかね。30歳を超えても、ずっと試合に出ていないとやっぱり無理ですよね。 プロ入りして4年目ぐらいまで足首の捻挫だったり肩の手術だったり、けがを繰り返してたんで、1月の自主トレーニングをものすごく大事にしてました。そこでどれだけ貯金をつくるか、2月のキャンプ含めて1年間持つ体ができるかが分かってきたので、1月は追い込みました。基本的には走り込みばっかり。球団のトレーナーやトレーニングコーチ、いろんな専属の人がつくってくれる練習メニューが20何年と重なって、よりボリュームアップしていきました。