逆方向への長打より得意だったもの。サインを出されて役割を実感・井口資仁さん 野球のレジェンド「名球会」連続インタビュー(42)
プロ5年目の2001年から打撃成績が伸びた要因はタイミングの取り方ですかね。王貞治監督(現ソフトバンク球団会長)に風呂場でばったり会って、何で一本足打法にしたとか、どういうタイミングの取り方をしたとか、そういう話を素っ裸で教えてもらった記憶があります。その後、スコアラーで来られた金森栄治さんの打撃理論が僕に合ってたかなと思うんです。体の使い方を結構言ってくるんですよ。どうやったら力が一番伝わりやすいか、いろんな例を出してくれた。何でお母さんは子どもを長く抱っこできるのか、重い鉄の扉を開ける時はどうやって開けるんだとか、いろんなヒントをくれながら「やっぱりちょっと脇が締まってるよね」と。 そうすると打つポイントがだんだん近くなった。前で打てって言われていたのが、奥行きが出てくる。真っすぐは近くで打てるし、変化球は前で拾える。嫌な球がなくなってくるんですよね。真っすぐを一番近いポイントでファウルできるように待っておけば、後は何とでもなるって思えるんで、追い込まれても全然嫌じゃなかったです。スイングする力、体の力がある人じゃないとできないですが、それを僕はできたので、金森さんの考えに合ったのかなと思います。 右方向に強く打てる長所がありましたが、どうしても福岡ドームっていう(ホームランテラス設置前の)広い球場が引っ張らせてしまっていたんで、自分の中で原点に戻れた。なおかつ力が付いてきて、福岡ドームでもフェンスに当たったり越えたりっていう打球が出るようになってきた。自信を持って90度を目いっぱい使って打てるようになったってところですかね。
2003年は3割4分を打ち、普通だと首位打者が取れるはずなんですけど、その年はガッツさんかな(日本ハムの小笠原道大が3割6分で首位打者)。僕は4位だったんです。そういう時代でした。109打点、112得点とかしているんですけど、あんまり目立たなかったですね。42盗塁で盗塁王ですけどね。だってダイエーのチーム打率が2割9分7厘ですから。100打点以上が4人(井口さんの他に松中信彦=123打点、城島健司=119打点、バルデス=104打点)。大リーグに行った吉田正尚みたいなのがいっぱいいた。 ▽つなぎ役の気持ちが理解できたメジャー時代 大リーグでは、それなりにできたとは思いますけど、けががあり、成績も出なくて日本に帰ってくることになったんで、全然成功したとは思ってないですね。特にホワイトソックスは、いろいろ(打席での)制約があったので。でも、チームが勝つためにですし。契約時に2番バッターって言われ、それでも入団したんで。2番をこなさないと僕の仕事じゃないと割り切りました。そのおかげでチャンピオンリングをもらえましたし、感謝しなくちゃいけない。