信長ゆかりの古刹取り壊し問題 メディアも惑わす偽書疑惑のある書物とは?
生駒家では「吉乃」とはいわない
各メディアが久昌寺取り壊しに関する報道をするときに使っているのが、信長の側室「吉乃」という名前だ。しかし、実は生駒家では「吉乃」という名前は使っていない(また側室ではなく正妻としている)。一般に、この時代の女性の本当の名前が今に伝わることはほとんどない。信長の妻だった女性の呼び方については、16代当主の鍾(あつむ)氏が昭和の時代、子どもたちに生駒家の歴史を教える時に久菴桂昌大禅定尼を便宜的に「久菴(きゅうあん)さん」と呼んでいたことはあったが、生駒家に残る古文書に「吉乃」という呼び方は一切出てこないという。 にもかかわらず、なぜ「吉乃」という名がここまで知られているのか。 これについて、生駒家の現当主である英夫さんは「『武功夜話』という書物がこの名を“捏造”して世に広めたからだ」と断言する。『武功夜話』は1959(昭和34)年の伊勢湾台風の後、江南市前野町の旧家・前野家の壊れた蔵から見つかった古文書に書かれていたとされるもの。信長や秀吉、そして生駒家とも関係があった武将、前野長康の子孫としてここに住んでいた吉田龍雲(たつも)氏(故人)と弟の吉田蒼生雄(たみお)氏が世に広めた。 この古文書の存在は昭和50年代頃から知られ始め、1987(昭和62)年に蒼生雄氏が『武功夜話』と題して前野家の古文書の全訳(現代語訳)全4巻(一巻500ページほどもある)を新人物往来社から刊行。その圧倒的な面白さから津本陽などの作家やNHKの大河ドラマなどがこの本の記述にとびついて、数々の小説やドラマが作られた。 「吉乃」という名の女性が信長の側室として『武功夜話』に登場し、この名が世間一般に広く知られるようになったのはこの時からだ。 『武功夜話』には当初から偽書疑惑があったものの、当時、多くの歴史研究者がこの本を参照し、江南市や近隣の自治体も地元の歴史として勉強会を開き、観光・地域おこしに利用した。有名な「秀吉の墨俣一夜城」の話も『武功夜話』の中にだけに詳細に書かれていて、他の史料で裏付けが取れていない。にもかかわらず、岐阜県大垣市の墨俣では立派な模擬城まで作ってしまったほどだ。 しかし『武功夜話』については、真贋論争の末、結論は出ていないものの歴史研究者の間では「利用してはいけない文書」ということが暗黙の了解となっている。