信長ゆかりの古刹取り壊し問題 メディアも惑わす偽書疑惑のある書物とは?
生駒家当主へ小説を書きたいと申し出ていた
生駒家19代当主である英夫さんは「『武功夜話』は小説に過ぎない」と断じる。 というのも昭和44年頃に吉田龍雲氏から生駒家17代当主の秋彦氏(故人)に対し「生駒家を扱う小説を書きたい」と申し出があり、秋彦氏がそれを承諾したという経緯があるというのだ。また昭和47年頃には18代当主の陸彦氏が小説執筆のアドバイスを求められ、信長の子を生んだ娘を生駒家では「久菴さん」と呼んでいると話したという。口頭で伝えたため『武功夜話』には「久菴」でなく「久庵」と誤って書かれることになったというのだ。 そもそも16代当主が昭和の時代に子どもたちに生駒家の歴史を教えるために便宜的に使っていた呼び方が、前野家の古文書に書かれているはずがない。英夫さんの話が事実であれば、『武功夜話』はもはや偽書と完全に断定してもいいだろう。 本物だと主張している吉田蒼生雄氏は、『武功夜話』を含む古文書を15万点あまり所有していると主張しているが、原本は公開されておらず、歴史研究者の誰も正式に確認してはいない。原本を学術的に調査すれば真贋はすぐわかるはずだと思われるが、蒼生雄氏は古文書の調査を許していない。
江南市は今も真偽を曖昧にしたまま
実は、江南市もかつては市の歴史として大きく『武功夜話』をアピールしてきた。しかし、今回の件を受けて、生涯学習課の可児孝之課長に聞いてみると、次のような見解を示した。 「今はあくまでも江南市にお住まいになっていた吉田家から出てきた郷土資料としての扱い。正しいかどうかという見解は示していません。正式に調査していないので歴史的な価値があるかどうかもわかりません」 「市内にも『武功夜話』の反対派と賛成派がいらっしゃるので、どちらが正しいとかとも言えませんし、昔は『武功夜話』の講座をやったりしていましたが、近年はそういうこともしておりません。どちらでもないという中間的なスタンスと言いますか、そのあたりが難しいなと思うところです」 何とも歯切れが悪い回答だ。ただ、江南市のホームページではいまも『武功夜話』を紹介し続けている。 取り壊しの是非を巡る議論が盛り上がった久昌寺だが、江南市の沢田和延市長は5月24日、財政不足などを理由に保存の断念を表明。結局、予定通り取り壊されることが決まった。ただ、財政不足という金銭的な理由だけでなく、久昌寺を調査・保存しようとすると真贋がはっきりしない『武功夜話』を巡る問題にさらに深入りすることになりかねないことも、今回の江南市の決定の背景にあるのではないだろうか。 英夫さんは「歴史や行政の間違いを正すことは罪ではなく、むしろ賞賛されることだと思う」と話し、今後も生駒家当主として『武功夜話』の偽書問題に対して発言していく考えだという。
地元の人々は「郷土の誇り」と熱弁
とはいえ『武功夜話』はまだまだ信じられている。工事が中断している久昌寺で柵越しに本堂を撮影していると、江南市内在住の70代の夫婦がやってきた。「最後に拝みに来た」という。夫婦は『武功夜話』に書かれているさまざまな話を口にして「偽書といわれていることも知っているが、有名な歴史学者の先生方が認めているから間違いない。なによりこれは郷土の誇りだから」と熱弁を振るった。 久昌寺はなくなるが、『武功夜話』はこれからも残り続けるのだろうか。いずれにしても、今回の騒動で、信長の側室「吉乃」という名前がますます独り歩きしそうなことだけは確かなようだ。 (水野誠志朗/nameken)