矢樹純さん「血腐れ」インタビュー 家族のトラブルを軸にホラーとミステリを融合
書店のホラーマンガ雑誌は「全部読んだ」
――うかがっているとかなりホラーがお好きなようですが、矢樹さんのホラー遍歴を教えていただけますか。 祖母が怖い話をしてくれる人だったので、幼い頃は八甲田山の遭難の話などをよく聞いていました。本当に怖いものに触れたと感じたのは、楳図かずお先生の『恐怖』(小学館)。怖いのに目が離せず、本がバラバラになるくらい読み返しました。今でも『恐怖』というと、カバーがなくなったコミックスを思い出します。そこからどんどんホラーが好きになって、小学校時代から書店に並んでいるホラーマンガ雑誌を全部買うようになりました。 ――1980年代から90年代にかけてはホラーマンガ誌がたくさん書店に並んでいましたよね。 ありましたよね。「ハロウィン」「サスペリア」「ホラーM」「ネムキ」……あのへんは全部読んでいます。お小遣いではとても足りないので、ときどき親の財布からお金を拝借したりして。ひどい話です。その流れで心霊ビデオも見るようになりました。当時はレンタルビデオの最盛期で、1本100円で借りられたんですよ。中学高校大学と見続けて、レンタル屋さんの心霊ビデオは端から端までほぼ制覇しました。海外ホラー映画はいきなり音が大きくなるので苦手だったんですが、耳を塞いで薄目になれば大丈夫だという攻略法を編み出しまして、それ以来海外のホラー映画も好んで見ています。 ――矢樹さんといえばミステリのイメージでしたが、そんなにホラーがお好きだったんですね。 そもそも小説家になりたいと思ったきっかけにも、ホラーが絡んでいるんです。マンガ原作の仕事がうまくいかなくなって、どうしようか迷っていた時期に、三津田信三さんの「作家三部作」(注・『ホラー作家の棲む家』、『作者不詳 ミステリ作家』、『蛇棺葬』および『百蛇堂 怪談作家の語る話』からなるホラーミステリの三部作。2001年~03年刊)の読む本を読んだんですね。ミステリとホラーをここまで本格的に融合させた作品に出会ったのは初めてで、「こういう小説を書きたい」と強く思いました。結局デビュー作はミステリだったんですけど、三津田作品に出会わなければ小説家を目指していなかったと思います。 ――そんな経緯があったんですか。今月はもう一冊、『撮ってはいけない家』(講談社)という長編ホラーミステリも刊行されます。 あれはミステリを書いてほしいという依頼だったんですが、三津田さんの「作家三部作」が講談社でしたから、同じ出版社から出すならホラーミステリを書くしかないだろうと。『血腐れ』と執筆時期はずれているんですが、たまたま2冊連続でホラー系の作品が出ることになって、この秋はホラーづいています。 ――Kindleでセルフ出版されているホラー作品集『或る集落の●』も、SNSで定期的に話題になっています。あれはどういう経緯で出版されたものなんですか。 なかなか2冊目が出せなかった時期に、再デビューを目指して新人賞に応募した作品がもとになっています。受賞できると確信していたので、1話目を送った後すぐに続きを書き出していたんですが、不思議と最終候補で落ちてしまって(笑)。途中までできあがっていましたし、埋もれさせておくのは惜しいのでKindleで販売しました。いまだに読んでいただけるので出しておいてよかったと思います。 ――いろいろうかがっていると、矢樹さんが『血腐れ』を書くのは必然だった気がしますね。あらためて『血腐れ』について一言いただけますか。 怖かったという感想をいただくこともあるんですが、自分ではどこまで怖いものが書けたか分かりません。ただ小説を書いていていつも考えるのは、読んでいる間感情が揺れ動いて、充実した時間を過ごしてもらいたいということです。『血腐れ』も座っていただけなのにぐったり疲れたな、今夜はよく眠れそうだな、と読者に感じていただけるような作品になっていたら嬉しいです。 <矢樹純(やぎ・じゅん)さんプロフィール> 作家 1976年青森県生まれ。実妹とコンビを組みマンガ原作者・加藤山羊のペンネームでデビュー。『あいの結婚相談所』などの作品の原作を担当。その後、2012年に「このミステリーがすごい!」大賞に応募した『Sのための覚え書き かごめ荘連続殺人事件』で小説家デビュー。短編集『夫の骨』が話題を集め、20年に表題作で日本推理作家協会賞・短編部門を受賞。他の作品に『妻は忘れない』『マザー・マーダー』など。
朝日新聞社(好書好日)