東アジアの美術と書のこれから―「美術館の『書』」展をたよりに(文:大山エンリコイサム)
欧米主導の美術史をはなれて
具体やもの派への注目は、同時代の欧米の美術運動(抽象表現主義、アンフォルメル、ミニマリズム、アルテ・ポーヴェラなど)との関連が付帯している。それは吉原治良とミシェル・タピエの親交が教えるように、当事者たちが望み、意図した結果でもあった。そこには、MoMA型のモダニズムの変奏が非欧米圏にもあるという「モダニズムス(複数のモダニズム)」の思考が脈打っている。そのスコープは、前衛書と欧米の抽象絵画の交流をはかった森田子龍の『墨美』までを自然に含みうる。大阪の国立国際美術館で1985年に開催された「絵画の嵐・1950年代 アンフォルメル/具体/コブラ」展では、森田も取り上げられたほか、ピエール・アレシンスキーの映画「日本の書」がビデオ上映された。それは一見すると、国のボーダー(欧米と日本)のみならず、領域のボーダー(絵画と書)を越境している。同時に、MoMA型のモダニズムという単一の評価軸が、暗黙のうちに作動してもいる。 それ自体は問題ではない。しかし、評価軸が「それしかない」という状況が仮にあるなら、それは現在の批評やアカデミズムが、歴史の記述においてアクチュアリティのある仕事を果たせていない兆候かもしれない。事実、かつて戦後アメリカのモダニズム批評が、抽象絵画をめぐる「平面性」や「純粋性」といった概念を保護するために、書や砂絵といった非欧米圏からの影響を不純物として取り除いたことを踏まえれば、書という領域の可能性を最大化するには、MoMA型のモダニズムとは異なる基準が必要ではないか。 以上を踏まえると、横山書法芸術館という台湾の施設で、韓国の書芸の歴史を概観する展覧会が開催された事実は、そのアクチュアリティが多重に膨らんでこないだろうか。この文章ではおもに日本からの視点に立脚したが、繰り返し述べるように、これは日本を含む東アジア全体に関わる認識である。20世紀後半から21世紀前半へという時間軸のなかで、編み込まれた過去と現在の往還によって生まれる、地政学と文化形成のダイナミズムがそこにある。
大山エンリコイサム