東アジアの美術と書のこれから―「美術館の『書』」展をたよりに(文:大山エンリコイサム)
書とふたつのアクチュアリティ
次に、同展のような展覧会を取り巻くアクチュアリティを考察したい。個人的な観測だが、東アジアの書をめぐって現在、関心がにわかに、また多方向に高まりつつある。多方向とは、美術から書に向けて、書から美術に向けて、また東アジア各国の相互性というニュアンスである。とはいえ私は日本および米国を拠点にする美術家であり、その視点も一定の偏りを免れることはできない。以下はあくまで、日本からの視点による暫定的な印象である。 これまでも美術と書の接点を探る試みが日本では行なわれてきた。前衛書家の森田子龍が1951年に創刊した雑誌『墨美』は、前衛書はもちろん、同時代の抽象絵画やその実践者たちを紹介し、異分野間の国際交流を促した。1959年の第五回サンパウロ・ビエンナーレには、比田井南谷や森田といった日本の書家が出展している。また「書と絵画との熱き時代・1945~1969」(品川文化振興事業団O美術館、1992)や、「日本的なるもの 書くこと描くこと」(岐阜県美術館、2002)などの展覧会は、絵画と書の交わりに美術として迫ろうとした。 そこに通底するのは、欧米主導の美術史において、書という領域が日本独自の文脈を形成しうるという(ときに日本側、ときに欧米側の)直感だろう。他方で最近まで、日本国内では書がおもに団体展のイメージと結びつくことで、美術と決定的な距離が生じてしまっていた。徒弟制をはじめとする古い慣習から逃れてきた現代美術の価値観と、書という業界の構造はたやすくは噛み合わない。それゆえ現代の日本において、書は美術の範疇に含まれないというのが一般認識でもあった。しかし近年、これまでと異なる角度から、書の意義が問い直されている気配を感じる。そこにはふたつの動向が見て取れる。 ひとつ目は、いま述べたような美術と書のこれまでの関係を辿り直し、歴史的に評価する動向である。先般より、欧米における具体美術協会やもの派といった戦後日本の前衛美術への注目に端を発し、その周辺の事象までリサーチの網目が広がるなか、井上有一および森田など墨人会のメンバーや、前衛書の始祖と言われる比田井南谷やその父の比田井天来といった書家が、新たなプラットフォームのもとで紹介され始めている。一例として、東京と北京に拠点を構える老舗ギャラリーの東京画廊+BTAPは、所属作家として比田井南谷の展覧会を開催している。京都に本店があり、同じく老舗のギャラリーである思文閣は、現役の書家である石川九楊の作品を国際的なアートフェアの代名詞であるアートバーゼル香港にて展示している。また東京のオオタファインアーツは、香港の伝説的な路上書家であるツァン・チョウチョイの個展をいち早く2019年に企画した。 こうした動向は、ギャラリーやアートフェアという市場原理および国際的なネットワークの場で起きており、ゆえに―よしあしはさておき―過去にあった美術と書の交わりを焼き直したとは言えない新鮮さがある。そもそも具体やもの派への注目も、アカデミズムとマーケットの両輪によってもたらされた側面があり、露呈しつつある資本の力と歴史評価の解きほぐせない共犯関係は、研究者や美術館キュレーターを高給で雇用する欧米のメガギャラリーの経営手法にも観察できる。 その意味で書は、コレクターの増加が顕著なアジアのマーケットと相性がよいが、さらに背後には、マーケットに限られない国際的なアートシーンにおけるアジア全体のプレゼンスの向上がある。かつてアジア唯一の先進国として存在感を放った日本にとって、書は、欧米主導の美術史における「特殊項」というみずからの位置を鮮明にするために機能した。しかし現在、書に期待される役割は、欧米主導というこれまでの図式ではなく、とくに東アジア漢字文化圏の「共通項」として、アジアに固有の美術史、または視覚文化史を構想するための有力な基礎のひとつを提供することだと考えられる。それは、しばしばアジア現代美術の特色と見なされる参加型アートやコミュニティアートの流れとは別の広がり、すなわちアジアにおける造形表現の系譜をめぐる広大な探求のための基礎である。 アジアのMoMAとも言われる香港の巨大美術館M+(エムプラス)のコレクションには、絵画や写真と並び、インクアートの項目がある。これは、欧米はもちろん、日本の美術館でもあまりみられない。ここから書やインクという概念が、アジアに固有の美術史の構想において重要視されていると推察できる。かつて日本において、欧米に対する独自性として機能しえた書の文脈は、現在、日本を含む東アジアの共通性として、新たな可能性を芽吹きつつある。この可能性は、欧米主導の美術史やマーケットのダイナミズムに呼応しつつも、アジアから自発的に発信されるべきであり、それは歴史の記述やそれに根差したアイデンティティ形成としてこそ本来の意味を獲得するだろう。これが私の考えるふたつ目の動向である。