「駅前タワマン」計画目白押し 巨大ラビリンス化する東京は文明の頂上か、墓場か? 理念なき都市計画が生んだ「新しいタイプの世界都市」
三次元交通論
明治以後も、東京には平屋もしくは2階建ての木造低層住宅が密集していて、世界の大都市としては異様であったが、関東大震災、東京大空襲の悲惨な体験を経て、建築の不燃化が進行する。それでも日本人は庭付き一戸建て志向が強く、欧米並みの集合高層住宅化には時間がかかった。近年はタワマンが増えているが、確固たる都市計画によっているのではなく、販売価格と土地のまとまりやすさという経済論理によっているので、タワマンの周囲に木造2階建てが密集するという、他国ではあまり見ない光景が当たり前となっている。 現在の東京の鉄道網を表す図を見ると、中心部は地下鉄が縦横に交錯して、周辺部は郊外へ延伸する私鉄につながり、基幹となるJRと合体するかたちで、きわめて複雑化している。この複合鉄道網の高度な発達が、渋谷のようなターミナル駅を迷宮化させ、駅直近にタワーマンションが建つ傾向を加速させているのだ。 いわばエレベーターとエスカレーターという「垂直(鉛直)交通」が、鉄道網という「水平交通」と連動しているのである。今、東京は、三次元交通を誇る3Dの街になりつつある。近年、都心部は自動車交通の渋滞も緩和されつつあるようだ。 これまで現代都市の問題点が指摘されるたびに「コンパクト・シティ」という概念が支持されてきた。基本的にはいい方向だが、これはもともとヨーロッパ型の、ほとんどの領域を歩いてまわれる小型都市という中世思慕的な理想主義から来ているので、アジアの大きな人口圧力を受ける都市には合わないところがある。僕は加速度的に都市化が進む近現代都市の現実として、機能集約を優先する「インテンシブ・シティ」を提唱してきた。東京は今、明らかにそちらに進んでいる。(参照・若山滋著『インテンシブ・シティ-都市の集約と民営化』鹿島出版会2006年刊)
新しいタイプの世界都市
『ローマと長安-古代世界帝国の都』(講談社現代新書1990刊)という本を書いたとき「世界都市」というものを、単なる国際都市ではなく、民族や国家を超える文化的な普遍性をもつ都市と定義し、古代のローマ、長安、近代のパリ、ニューヨークなどを、そういう都市として論じた。その後、この「世界都市」という言葉が広がって、東京都が電通に「世界都市としての東京」というプロジェクトを依頼した。電通が調べたところ、日本で「世界都市」を定義して最初に使ったのは僕だということになり、協力の依頼を受けたことがある。しかしそのころまでの東京は、まだ経済に重点が置かれ、国際金融などの面で24時間都市として機能すべきだというような議論が多く、文化論者の僕としては世界都市とは言い切れなかった。 現在はどうであろう。多くの居住者は、この化け物のような都市の発達に異様な感覚を拭えないだろう。僕もその一人だ。しかし世界都市というものは、そういう、必ずしも居住者にとって住み良いとはいえない「異様な都市」だったのかもしれない。ローマは圧倒的な公共建築において、長安は碁盤の目の道路網において、パリは多極放射状道路において、ニューヨークはスカイスクレイパー(摩天楼)において、東京は多都心複合型の立体迷宮性において、それぞれそれまでの歴史にないような特徴的なインフラを備えている。 また現在の東京は、海外からの観光客が爆発的に増え、文化的な意味でも、ある種の普遍性、パリやニューヨークのような近代西欧文化とは異なるアジアの一都市としての普遍性を獲得しつつあるのかもしれない。かつて僕は木造建築などに見られる日本の伝統文化の特徴を「精妙文化」と呼んだ。精巧な技術と微妙な感性が一体化した文化という意味である。精巧な技術は、自動車やオートバイや家電や時計やカメラなどの「ものづくり」に引き継がれ、微妙な感性は、お茶やお花や禅といった京都からの伝統を継承する文化、あるいは浮世絵や歌舞伎や俳句といった江戸文化とともに、料理や旅館のもてなしの文化や、マンガやアニメやゲームなどの文化に引き継がれている。東京には東京の歴史的文化的な奥深さがあり、それが現在の街並みにも活きているのではないか。 そう考えてみれば、世界都市という言葉から「居住者と人類にとって好ましい」という価値概念を捨象するという条件付きで、東京は「新しいタイプの世界都市」といえるのかもしれない。そしてこうもいえるだろう。世界都市とは、文明の頂上でもあり墓場でもあると。ローマ市民は奴隷剣闘士を猛獣と闘わせて娯楽とした。長安の最盛期、玄宗皇帝は楊貴妃の色香に溺れ、以後唐帝国は衰退した。19世紀のパリにはヨーロッパの没落貴族が集まり享楽に耽った。ニューヨークは資本主義的栄光の街であると同時に貧困と犯罪の街でもある。 暑い夏、グテーレス国連事務総長が「地球温暖化ではなく地球沸騰だ」という警告を発した。 孫が恐竜ファンなので、最近「人類(あるいは文明)は脳の恐竜」という感を強くしている。今日の人類の文明が生み出すガスが、かつて恐竜を絶滅に追いやった巨大隕石の衝突に当たるとすれば、東京は脳の恐竜としての文明の墓場となるのか。今著しいAIの発達は、それを加速させるのかブレーキを掛けるのか。 人類と、その脳と、その脳が生み出す新しい脳は、加速的に都市化する世界迷宮の、これまでにない岐路に立っている。