タレント・熊田曜子。選んだシングルマザーという道。3人の娘に伝えたことや大好きなグラビアという仕事に向き合って
離婚をしても、3人にとってのママとパパはずっと変わらないよと伝えた
――シングルマザーを選択したときの、熊田さんの気持ちや、子どもたちの様子はどうでしたか? 熊田 昨年の春に、正式に離婚をしたのですが、その前から別居をしていたので、離婚をしたからと言って、大きくは変わっていないです。子どもたちは私と一緒に住んでいて、定期的にパパに会っています。 元夫とは、今も連絡を頻繁に取っていますね。子どもたちの学校のことを話したり、イベントごとには必ず来てもらうので、それを連絡している感じです。 子どもたちに対しては、「これから先も世界に1人だけのパパだから、会いたいときにいつでも会いに行っていいよ」と話しています。行きたかったら行けばいいし、嫌だったらすぐに迎えにいくから、自由に選んでほしいと思っているんです。 子どもたちには、離婚についてもきちんと話しました。「ママとパパは結婚して一緒に暮らしていたけど、大きなけんかをしちゃって、ママとパパは夫婦ではなくなったの。でも、あなたたちのママとパパであることは変わりないから、何かあったら、ママでもいいしパパでもいいし、パパ方のおじいちゃんおばあちゃんも、だれに相談してもいいんだよ」と伝えています。 ――熊田さん自身も母子家庭で育ったということで、お母さまとの関係で思うところはありますか? 熊田 パパとママが同じ屋根の下で子育てするのがいい形だとは思います。私も母も、それを理想にして生きてきたのですが、結果的にダメになってしまったんですよね。母の背中を見てきて思うのは、シングルマザーになるということは、家のことと稼ぐことの両方を1人でこなさなければならず、とてもハードだということです。 母は、正社員で朝から晩まで働いて、ごはんだけ作りに帰って、また仕事に行ってしまうような生活だったんです。だから、私たちの入学式や卒業式、運動会などにはいっさい来られませんでした。でも、母が一生懸命に働いているとわかっていたので、寂しいとは思わなかったです。そして、その代わりなのか、今は孫たちのイベントにすべて参加してくれています。 母は1人で私と兄を育ててくれたんですが、私の場合は母がしっかりサポートをしてくれるので、それは本当にありがたいですね。 ――娘さんたちへの性教育を考えることはありますか? 熊田 ママあるあるだと思うんですけど、後追いとかがすごくて、トイレを開けっぱなしでせざるを得なくて。それが3人続いていたので、何年か開けっぱなしにしていたんです。それで、生理でトイレが赤く染まっているときに、娘たちに「えっ!」とびっくりされました。そこで、「これはね、月に1回ぐらいあるんだけど、全然痛くないんだよ。赤ちゃんを包むはずの袋だったものが、赤ちゃんがいないから、じゃあもういりませんねと言って出てきただけ。みんなも赤ちゃんが産めるような年齢になったら、こういうことがあるんだよ」と伝えました。 ただ、うちで生理のことを話すのが当たり前だったからこそ、子どもたちがママが生理中だと他人にポロッと話してしまったときに、そのあたりのことをきちんと伝えていなかったなと後悔しました。 その後子どもたちには、「生理のことは、家族の中ではいいけど、家族じゃない人には、ナイーブな話だから、あまり言わないでね」と伝えました。 あとは、おふろ入るときも、水鉄砲でおっぱいやおしりに当てる遊びをしていたのですが、「それはもうやめようね」と。そのときに私の仕事についても説明したのですが、「水着で隠れているところはすごく大事なところで、そこをあなたが触ってもいけないし、触ってくる人がいてもおかしいから、そういうことがあったらすぐに教えてね」と言いました。子どもたちは「わかった」と理解してくれましたね。