なぜ井上尚弥は557発のパンチを繰り出し8回TKO勝利も「メンタルがやられる」ほど“格下タイ人挑戦者”に苦労したのか?
インターバルで井上は、父で専属トレーナーの真吾さんに助言を求めた。 「自分からどう流れを変えていけばいい?」 父は「ボデイか、誘ってカウンターか」と二択を与え、「タフでガードもいいのでボディに切り替えていこうという作戦」を選んだが、それも封じられた。 「ブロッキングが上手い。すごい研究してきた」 試合後にタイ陣営が明かしたところによると井上のボディ攻撃を警戒し、エルボーブロックを完璧にすることに加え、練習でスパーパートナー、トレーナーにわざとボディを何十発、何百発と打たせ衝撃に耐えるトレーニングを課していたというのである。 7ラウンドには、ついに右フックにディパエンがよろめく。鼻血が噴き出した。ここぞとばかりに井上はラッシュ。ロープを背負わせ、ワンツーをガードの上から叩きこむが、ここも耐えきり、さすがに約7000人で埋まった会場がザワつき始めた。 それでも最後の最後に見せ場を作るのが本物のモンスターである。 8ラウンド。 インターバルでイスに座らなかった姿を見て筆者は、減量の影響で足が攣ったかと懸念した。実際、このラウンド、パンチに体重が乗っていなかったが、「(立っていたのは)その方が楽だったから。このラウンドは強弱をつけようとした」と井上は言う。 その“強弱”でタイ人の鉄のディフェンスが崩れた。口の中も血に染まっていた。 コーナーに追い詰め「流れから」ラフに左、右、左とフックをスイングさせると、顔面にその左フックを食らったタイ人はロープまで吹っ飛んだ。ロープをつかみ立ち上がってきたが、そこにまた左フックがかするようにして顔面をとらえた。ゆらっと後ずさりすると、染谷レフェリーが抱えるようにして右手を振りTKOを宣告した。 ニコリともせずコーナーへ帰った井上は「フー」と大きなタメ息をついた。 リング上でインタビューに応じた2団体王者は、「期待を下回る試合ですみません」と、白のドレスコードで、ホワイトパーティをお膳立てしてくれた約7000人のファンに“お詫びを”口にした。 「みなさんの期待通りにはならなかった試合だが、2年ぶりに日本で試合ができて自分としては良かった。いい経験を積むことができた。(TKOに)8回かかったことに関しては何も思っていない。倒しきるまでの流れで、もっとテクニックを使い、相手を出させて迎える駆け引きも必要だったかなと思う」 大橋会長も「相手が勝つ気できたら1ラウンドでKOもあるが、勝つより判定に持ちこむことが目標であれば、こういう展開になる」と王者をかばった。 試合後、会見場にあらわれたディパエンは、しっかりとした足取りで腫れもない綺麗な顔をしていた。 「井上は強かった。スピードが速く、テクニックもある。僕は負けた。井上は、ボディもうまいしパンチ力がある。(8回は)我慢できなかった」 完敗を認めた。 「逃げないはずでは?」と質問すると顔をしかめた。 「もっと前へいきたかった。でもパンチをもらって、“行けばやばい”と。だからディフェンシブな戦いになった。スピードもないと思い、スピード勝負しようとも思っていたが、めちゃ速くて全部ダメになった」 最後は「いっぱいパンチをもらってダメージがたまった」という。 それでも8ラウンドまでパンチの嵐に耐えたのは驚異だ。 「タイ人のファン、国のため、家族のため我慢した」 帰り際に「肋骨の1、2本折れているのでは?病院へいくのか」と聞くと「問題はない」と笑い、ムエタイ60戦を誇るタフネスは、「ムエタイも含め、これまでで井上のパンチが一番強かった。彼は僕のアイドル。4団体すべてのベルトを取って欲しい」とエールを送った。 米の専門会社「COMPUBOX」によると、井上は557発のパンチを繰り出して201発がヒット、一方のディパエンは291発のパンチにヒットが64発。そのうち井上のジャブは310発あり89発がヒット、パワーパンチは247発あり、ヒット数は112発だった。 KOラウンドや「倒し方」まで求められるのは、「世界最強」を追うスーパースターゆえの宿命である。だが、井上は、あえて自らに高いハードルを課し「期待と想像を超える戦いをする」と豪語した。 「そういう発言で自分へのプレッシャーを高め強さを引き出している。来年もそういう試合をするように頑張りたい」 しかも、今回は、地上波放送ではなく、日本のボクシング界で実質的に初となる「ひかりTV」「Abema」でのPPV(有料配信)という試みにチャレンジした。 3960円という強気の視聴価格に賛否もあり、「それ(3960円)を満足させる試合を見せたい」と語る、もうひとつの見えない戦いもあった。 重圧による試合への影響はあったのか?と聞くと、井上は、「試合に関してはない。時には、期待を超えない勝ち方をすることもあるということを覚えておいて下さい」と笑みを浮かべて返答した。