沖縄独自の着る文化:「かりゆしウェア」が示す郷土愛とアイデンティティ
もしあなたが夏に沖縄旅行に行ったことがあるならば、思い返してみてほしい。那覇空港や県内のスーパー、飲食店、ホテル……あらゆる場所で、色とりどりのシャツに身を包んで働く人々を見たことはないだろうか。 それはお揃いのデザインだったり、一人ひとり異なる柄だったりするのだが、そんな人たちを見て、「沖縄に来た」と実感した人も多いだろう。 その「色とりどりのシャツ」こそ、沖縄で独自の発展を遂げてきた「かりゆしウェア」だ。 体感ではあるが、大げさではなく沖縄県内で働く人の9割は、暖かくなってくるとかりゆしウェアに衣替えをする。なぜならそれが、沖縄の夏の正装だからだ。 かりゆしウェアという文化は、なぜ沖縄限定でこんなにも発展してきたのだろうか。その理由を探るべく、かりゆしウェアの商標やタグの発行管理、卸し、企画広報などを行う沖縄県衣類縫製品工業組合の美濃さんにお話を伺った。
アロハシャツからヒントを得て誕生
取材に応じてくれた美濃さんは、ブルー地のノーカラーシャツの襟元に、沖縄の伝統工芸である「紅型(びんがた)」をあしらった爽やかなかりゆしウェアを着用していた。 聞けば、沖縄では年度はじめの4月から10月ごろまで、1年の半分以上がかりゆしウェアのシーズンだという。加えて取材時(5月初旬)の沖縄は夏のような気候が続いていたこともあり、県内ではすでに多くの人がかりゆしウェアで仕事をしているとのことだった。 今では仕事着としても私服としても当たり前のように着られているかりゆしウェアだが、その歴史は沖縄県が本土復帰する2年前、1970年に遡る。 「まだ米軍統治下にあった1970年に、沖縄県観光協会の面々が世界の観光地のトップランナーであるハワイを視察に行きました。 その際、視察団を受け入れたハワイの方々に、『せっかくハワイに来たのに、どうしてスーツにネクタイでいるんですか? どうぞアロハシャツに着替えて、ハワイの風を感じてください』と言われて、その場でアロハシャツに着替えたんです。 それで『沖縄でも、着るだけで沖縄を感じられるような衣服を作れないか』ということで、かりゆしウェアの原型が作られました」 アロハシャツの起源には諸説あるが、1900年代初頭にハワイに移住した日本人移民たちが持ち込んだ着物を、「パラカ」という開襟シャツに作り直したものを起源とする説もある。 当時アメリカの統治下にあった沖縄と、日本を起源とする説があるアロハシャツが出会ったことには、運命的なものを感じずにはいられない。 ハワイ視察後、さっそく「沖縄らしい衣服」の製造が進められた。しかし、1970年代当時は「かりゆしウェア」という名称もなく、製造ルールなども特に決まっていなかったという。