「イチ、ニ、サン…」人類はいつから「数」をかぞえていたのか。「かぞえる」から「自然数」へ、さらに「無限」までかぞえた数学者の考え方
数学ってどこでわからなくなったんだろう……微分積分?三角関数? 積極的に提言する数学教育の専門家として知られる数学者の芳沢光雄さんは、そのつまずきは、そもそもの算数に始まっているのではないかと指摘します。単なる計算問題や公式の暗記をしたために、「数学への土台となる考え方」を身に着けなかったのではないかと言います。そこで、もう一度、算数に立ち返って中学・高校、そして大学で使う数学の考え方を見ていくことにしましょう。 【図説】かぞえる」から「自然数」へ、そして「無限」をかぞえた数学者の考え方 <はじめに> 算数・数学は元来、一歩ずつ積み上げていく教科である。それが単元ごとの試験の影響などからか、ともすると忘れられてしまうようである。筆者は、『昔は解けたのに……大人のための算数力講義』や『新体系・中学数学の教科書』、同シリーズ『高校数学の教科書』、『大学数学入門の教科書』などを執筆させていただき、算数から大学数学までをギャップ無しに積み上げてきた。そのうえで今思うことは、算数を出発点として、中学数学、高校数学、大学数学の関連する話題を眺めて、見通しを良くすることである。それは登山において、麓から遠くに見える目標の山頂を見るようなことだと考える。 算数の学びは、実は数学の出発点としていかに大切かを少しでも理解していただければうれしく思う次第である。 この記事では、「有限個の物の個数を数える歴史」を振り返りながら、それを「無限個の世界」に拡張させた数学の足跡を見ていくことにする。
もっとも古い人類が「数」をかぞえた痕跡は?
紀元前1万5000年~紀元前1万年頃の旧石器時代の近東(北アフリカの地中海沿岸部、東アラブ地域、小アジア、バルカン半島など)には、動物の骨に何本かの線を切り込んだ「タリー」と呼ばれるものがあった。それらの切り込みは、特定の「具体的事物」に関係していると考えられており、1日1日の太陰暦を1つ1つの切り込みにしていたとする仮説がある。 また、紀元前8000年頃から始まる新石器時代の近東では、円錐形、球形、円盤形、円筒形などの形をした小さな粘土製品の「トークン」というものがあった。壺に入った油は卵型のトークンで数え、小単位の穀物は円錐形のトークンで数える、というように物品それぞれに応じた特定のトークンがあった。 1壺の油があるときは卵型トークン1個を置いて、2壺の油があるときは卵型トークン2個を置いて、3壺の油があるときは卵型トークン3個を置いて、というように、1つ1つに対応させる関係に基づいて使われていた。もちろんこの段階では、数えることはしていない。このような対応を以後、「1対1の対応」と呼ぶことにしよう。