「イチ、ニ、サン…」人類はいつから「数」をかぞえていたのか。「かぞえる」から「自然数」へ、さらに「無限」までかぞえた数学者の考え方
「1対1対応」の考えから「集合論」は始まる
ものの集まりを集合という。 Aをクラスの男子の集合とし、Bをクラスの女子の集合とする。AとBの間に「1対1の対応がつく」ことは、Aの人数とBの人数が等しいことである。これは、AとBが有限個の要素(メンバー)から成り立っているからこそいえることである。無限個の要素(メンバー)から成り立っている集合の場合について考えると、話は違うことになる。例として、 Aは1、2、3、4、…を要素(メンバー)とする自然数全体の集合とする。 Bは1、3、5、7、…を要素(メンバー)とする正の奇数全体の集合とする。 Cは2、4、6、8、…を要素(メンバー)とする正の偶数全体の集合とする。 このとき、Bの各要素に1を加えてみる。すなわち、1は2になり、3は4になり、5は6になり、7は8になる。このような対応によって、集合Bは集合Cと「1対1の対応がつく」ことになる。 次に、AとCは集合としては違うが、Aの各要素を2倍してみる。すなわち、1は2になり、2は4になり、3は6になり、4は8になる。このような対応によって、集合Aは集合Cと「1対1の対応がつく」ことになる。 このように、無限個の要素をもつ集合同士の間にも「1対1の対応がつく」ことがある。
集合の「濃度」とはなにか?
集合Xは集合Yと「1対1の対応がつく」とき、XはYと「濃度が等しい」という。ここで、本当は次の3つを述べる必要がある。 ・任意の集合XはX自身と「1対1の対応がつく」。 ・集合Xは集合Yと「1対1の対応がつく」ならば、集合Yは集合Xと「1対1の対応がつく」。 ・集合Xは集合Yと「1対1の対応がつく」、かつ集合Yは集合Zと「1対1の対応がつく」ならば、集合Xは集合Zと「1対1の対応がつく」。 上記の3つの説明を踏まえて、「濃度が等しい」という概念は、「(有限個の)個数が等しい」という概念と同じように、無限個の世界でも扱うことができることになる。上で例として挙げた集合Aと集合Bと集合Cは、濃度が等しいものになる。 さて、実数とは数直線上のすべての数のことである。0.1や4.23などのような小数、1/3や3/7などのような分数、そのほか円周率や中学校で習う√2なども実数である。