昔は8種類以上もあった「橋」の地図記号。歩行者専用の橋、冬に架けられる木橋まで…なぜ細かく使い分けていたのか?
地図を読む上で欠かせない、「地図記号」。2019年には「自然災害伝承碑」の記号が追加されるなど、社会の変化に応じて増減しているようです。半世紀をかけて古今東西の地図や時刻表、旅行ガイドブックなどを集めてきた「地図バカ」こと地図研究家の今尾恵介さんいわく、「地図というものは端的に表現するなら『この世を記号化したもの』だ」とのこと。今尾さんいわく、「かつては橋の記号にもいろいろな種類があった」そうで――。 【図】秘密地形図(東ドイツ国防省発行)に表示された橋梁のデータ * * * * * * * ◆橋と軍隊の深い関係 「コンクリート造、長さ80メートル、幅12メートル、耐荷重量60トン」といった表記が地形図に印刷されていたとしたらどうだろう。 今から34年前に東西ドイツが統一された直後、そのころ外国地形図の収集に熱を上げていた私がまず注文したのは、旧東側にあたるザクセン州やテューリンゲン州などの地形図であった。そこに記されていたのがこの表記である。 このデータは橋の記号の傍らに数式のように掲げられていた略記を解読したものだが、最初は当然ながら意味がわからず、ドイツの測量局に読み方を問い合わせる手紙を書いた。 折り返し送られてきたのが東独の地図記号に関する詳細な部内用マニュアルで、これで読み方を教わったのである。 この本によれば、橋の他にも川なら水深や流速に加えて川底が泥か砂かなどの「底質」まで細かい表記方法が定めてあり、道路なら車線数と舗装の種類、鉄道は単線・複線や電化の区別はもちろん勾配も記号で区分表記、森林では樹種と幹の太さまで記してあった。 まさにあきれるほど詳しく、そんなことをやっているから国が潰れたのではないかと邪推したものである。
◆国民が見られなかった地図 日本の地形図とはまったく違う情報が満載なのであるが、実はこれらの地形図は一般の国民は見ることができない「秘密図」であった。 後で知ったことだが、この図式は東独の考案によるものではなく、大本はソ連である。 その影響下にあった東欧やキューバなどの社会主義国にはほぼ共通するものであった。 たとえば、ある橋を戦車が通過できるかどうかは有事の際には重要な情報だ。ともすれば国の存亡に関わる。 思えば近代戦争になる以前であっても、敵が迫ってきたときに橋を切って落とし、侵攻を食い止める場面はいくらでもあった。 そもそも地形図は国防と切っても切れない縁があり、歴史的に見て、たいていどこの国でも陸軍が作成してきた。イタリアなどは現在でも陸軍の機関が担当している。 日本の地形図も現在でこそ国土交通省の国土地理院が整備しているが、第二次世界大戦が終わるまでは陸軍の陸地測量部が国の測量業務と地形図の作成を担っていた。