紫式部の文章は読みにくい? 枕草子と比較して判る「源氏物語の特徴的な文体」
大河ドラマ『光る君へ』で注目される『源氏物語』。しかしその文体については「読みにくく、難解」とされてきた。だが、文筆家の古川順弘氏はそれについて、紫式部による計算ずくのレトリックとみることもできるという。その文体の特色について、解説しよう。 【写真】紫式部が生きた平安時代の寝殿造庭園を再現した公園 ※本稿は、古川順弘著『紫式部と源氏物語の謎55』(PHP文庫)より、内容を一部抜粋・編集したものです
「悪文」とも評された『源氏物語』
『源氏物語』の文章については、「読みにくく、難解だ」とよく言われてきた。「悪文だ」という評すらある。 有名なのは、明治から昭和にかけて活躍した自然主義作家、正宗白鳥の評で、「(『源氏物語』の原文は)頭をチヨン斬つて、胴体ばかりがふらゝとしてゐるやうな文章で、読むに歯痒い」が、イギリスの東洋学者アーサー・ウェイリーによる英訳を読んではじめてストーリーがよくわかってこの物語の面白さに気づいた、と吐露している(『改造』1933年9月号「文芸時評 英訳『源氏物語』」)。 英訳で読んだ方がはるかにわかりやすい、というのである。 そんな難解さの一番の原因は、文がいくつも挿入されていて一文章全体が長々しく、くねるような構造になっていることだろう。試みに、第二巻「帚木」の冒頭を引いてみよう。 「光る源氏、名のみことごとしう、言ひ消たれたまふ咎多かなるに、いとど、かかるすき事どもを末の世にも聞きつたへて、軽びたる名をや流さむと、忍びたまひける隠ろへごとをさへ語りつたへけん人のもの言ひさがなさよ。さるは、いといたく世を憚りまめだちたまひけるほど、なよびかにをかしきことはなくて、交野の少将には、笑はれたまひけむかし」 (光源氏は、評判はよくてもスキャンダルが多いそうですが、そのうえこんな色恋沙汰まで聞き伝え、本人が秘密にしていた隠しごとさえ語り伝えた人の、何と意地の悪いことでしょう。とはいえ、光源氏はとても世間体を気にかけて、まじめそうにしていたので、色めいた話はなく、交野の少将のような好色な人からは笑われてしまったことでしょうが) いきなりわかりにくい文章だが、ポイントは、まず前段では、色好みの光源氏の秘められた恋愛譚がこれから明かされることがほのめかされながら、後段では、「でも、その隠しごとは大したものではないかもしれませんね」と逆接的な内容が展開されているところだ。 つまり、「Aである。しかし、-Aでもある」という表現になっているわけだが、国語学者の大野晋は、『源氏物語』にはこうした表現が頻出していて、『源氏物語』の文体の特色になっていると指摘している。 しかも、文章だけでなく、人物や事象の描写、さらには筋立て自体も「Aである。しかし、-Aでもある」という単純に割り切らない構造になっているとし、この見方を応用して作品全体を鋭く分析している(『源氏物語』)。 『源氏物語』に比べると、紫式部と同時代の清少納言の『枕草子』の文章ははるかに読みやすいが、それは『枕草子』の場合は「Aである。Bである......」という感じでテンポよく文章が続いてゆくからだ。