紫式部の文章は読みにくい? 枕草子と比較して判る「源氏物語の特徴的な文体」
「古女房の問わず語り」という設定になっている
『源氏物語』の文体は、「帚木」の巻頭に示唆されているように、全体としては「ある人が物語ることを筆記したもの」という形式をとっていて、これも一つの特色となっている。近代小説のような、作者が一貫して第三者的な視点でストーリーを叙述するスタイルにはなっていないのだ。言い換えれば、物語が入れ子状になっている。 国文学者の玉上琢彌はこのことに注目し、『源氏物語』は、「かつて実在した光源氏と紫の上のそば近くに仕えた女房が生き残って問わず語りするのを、若い女房が筆記して編集した」という体裁をとっているのだ、と説いている(角川ソフィア文庫版『源氏物語』第一巻解説)。つまり、「この物語はフィクションではなく、ノンフィクションだ」という建前になっているというのだ。 第十五巻「蓬生」の巻末は、「いますこし問はず語りもせまほしけれど、いと頭いたううるさくものうければなむ、いままたもついであらむをりに、思ひ出でてなむ聞こゆべきとぞ」(「もう少し問わず語りもしたいところですが、面倒で気も進まないので、そのうち何かの折に思い出して申し上げるつもりです」とのことです)という文でしめくくられているが、これなどは、「古女房の語り口を若い女房が筆記した」という設定のわかりやすい例になっている。 このように物語の中で作者や語り手の言葉がダイレクトに現れた部分を、中世の『源氏物語』研究者は「草子地」と名づけ、『源氏物語』の特色としてきた。「帚木」の冒頭も一種の草子地である。 巻頭や巻末だけではなく、文中にも突然「このあたりは書くと長くなるので、省略しますね」というような妙な言葉が出てきて、次のシーンに進んでしまうことがある。この場合は、「書き手の若い女房の声」が紛れ込んでいる、という設定なのだろう。 敬語表現が多用されているというのも『源氏物語』の文体の特色であり、文章の難解さの要因ともなっているが、このこともまた、「語り手・書き手は、高貴な人びとに仕える女房である」という設定に大きく起因していると言える。女房視点では、主人たちの言動はおのずと敬語で表現されることになるからだ。 このようにしてみると、長くてわかりにくいという『源氏物語』の文体を、作者による計算ずくのレトリックとみることもできよう。そして、こういうところが『源氏物語』の面白いところであり、心憎い演出ぶりであるとも言えるのだ。
古川順弘(文筆家)