「光る君」衣装デザイン 手探りで決めた平安のイメージカラー 日本画家、諫山宝樹さん
その頃から「昔のタッチの絵を好きに描ける仕事ってなんだろう」と真剣に考え始めた。時代劇の背景か、NHKの大河ドラマか-。勢いあまって大学4年時には、展覧会企画という職域でNHKの採用試験を受けた。最終的に試験には通らなかったが、それから約20年後、仕事で大河ドラマに関わることになった。運命とは不思議なものだ。
ある日、大学院の友人から「時代劇の見せ物小屋の無残絵を描くバイトがあるらしい」と聞きつけ、アポも取らずに太秦にある東映京都撮影所に押しかけた。対応した美術監督が「それ、松竹やで。間違えて来よったんか」。その時まで松竹の撮影所があることを知らなかったのだ。
だが、それが縁となって後日、六歌仙をテーマにした2時間ドラマの絵巻を描いた。仕事ぶりが評価され、非常勤で東映撮影所に呼ばれるようになった。大学院2年のときだ。
またあるとき、上司から「若冲(じゃくちゅう)描けるけ」と尋ねられた。江戸中期に活躍した画家、伊藤若冲のことだ。美術品の真贋(しんがん)を通して美術品にまつわる人間模様を描くミステリードラマ「フェイク~京都美術事件絵巻」で、それがNHKとの初仕事となった。
ドラマで使ったある文化財の絵は、原本所蔵者が原本からのデジタル複製出力の使用を認めなかったため、ネットなどを参考に描いた。すると、「原本はどこで手に入れたのか」との問い合わせが来た。「しめしめ、原本なんか見てないぞ」とほくそ笑んだ。模写が精巧だった証となった。
撮影所での作品は、撮影が終わると廃棄される。作者にとってどうなのかと問うと、「せいせいしますね。無駄に破棄するわけではないし、撮影所にとっては絵よりも襖の土台の方が財産になる。次はもっとうまく描けるんじゃないとも思う」と意に介さない。
9年前に独立した。縁あって三千家の菩提寺(ぼだいじ)である大徳寺塔頭(たっちゅう)の聚光院(京都市北区)の座禅会に参加。さらに、千利休の月命日法要の手伝いなどをすることになり、小野澤虎洞住職から「絵、描いたらいい」と誘われ、中国風の子供の「唐子図」を描いた。これが最初の寺社への奉納となった。