ラ・リーガのアンチフットボールに見るFC町田ゼルビアの可能性。“黒田流スタイル”は根付くのか。それを判断するのは、チームが勝てなくなった時だ
粗にして野であったとしても、決して卑とはならぬこと
クラブの存在意義やアイデンティティを訴求する方法に、これという決まりはない。それがエンタメ性からかけ離れた代物だろうが、要はサポーターが満足しているのなら、外野がとやかく言う筋合いはないのだ。 ならば町田に、ひいてはJリーグにも、この先“黒田流スタイル”が根付いていく可能性はあるのか。 それを判断するのは、チームが勝てなくなった時だ。ポゼッションを放棄し、アンチフットボールとのそしりを結果でねじ伏せてきた町田のサッカーに、肝心の結果が伴わなくなった時、それでもファン・サポーターは変わらぬ愛情をクラブに注いでくれるだろうか。 スペインの名門ベティスには、3部に沈んでいた70年もの昔から、ベティコ(ベティスサポーター)の間で合言葉のように語り継がれる、こんな有名なフレーズがある。 「Viva Betis manquepierda!(ベティス万歳! たとえ敗れようとも)」 もちろん、チームの勝利は何物にも代えがたい喜びだが、たとえ敗れたとしても、ベティコであることは未来永劫、変わらない。なぜなら、ベティスとは彼らにとってひとつの感情であり、生活の一部であり、人生そのものだからだ。 町田がサポーターにとって、「ともに生きたい」と思えるクラブになれるかどうか。日常的にJリーグを追いかけているわけでもない門外漢が助言させていただくなら、ひとつだけ。 そのサッカーが粗にして野であったとしても、決して卑とはならぬこと──。ヘタフェの峻烈なサッカーがスペインで認知されたのも、ボルダラスが厳しいディシプリン(規律)を植え付け、品行は荒々しくとも品性は保たれていたからだ。今後、町田がわずかでも「卑」の一面を覗かせれば、再びメディアやSNSが牙を剥くに違いないし、なによりサポーターの心が離れるきっかけにもなりかねない。 J1リーグも残すところあと5節。ここにきての連敗で3位に後退した町田だが、仮に初昇格・初優勝の大偉業を逃したとして、果たしてファン・サポーターはこう快哉を叫んでくれるだろうか。 「町田万歳! たとえ敗れようとも」 文●吉田治良