食体験からその人の魅力を紐解く。 作家、エッセイスト・阿川佐和子の〈味の履歴書〉
六本木界隈の甘味の誘惑。箱入り女子中高生時代。
六本木にある中高一貫校へ進学すると、食の世界も広がった。部活が終わると「甘いものでも食べて帰ろう」と誘われ、俳優座の裏にある〈狸だんご〉へ。ただし阿川家の、というより父のルールでは19時帰宅は絶対。横浜に住んでいたため、時計を横目にドキドキしながらあんみつを口に運んだ。しばらくして、学校にほど近い場所に軽食も楽しめる甘味処〈つくし〉ができる。先生に見つかって職員室に呼び出されたこともあったが、足繁く通った。「クリームみつ豆で口が甘くなると、塩っ気の効いたきしめんが欲しくなって……」。財布と胃袋が許せば、無限ループに入っていたに違いない。 一方でさすが六本木界隈、昭和40年代当時から洒落た店も多かった。たとえば現在の東京ミッドタウン近くにあった西洋惣菜店〈ユーラシアン・デリカテッセン〉。濃厚なチーズケーキは思い出の味だ。「ビーツのサラダやニシンのマリネなどしゃれたメニューもテイクアウトできて、親のお使いで時々学校帰りに買いに行きました」 もうひとつの名店が、ユダヤ人マダムが切り盛りする〈コーシャ〉だ。紫の網タイツをはきこなすマダムは界隈の有名人。店は子どもが気軽に入れる雰囲気ではなかったが、こちらもチーズケーキが抜群においしかった。「高校の修学旅行では一人の子がホールを買ってきて、上野発の寝台列車で消灯後にこそこそ集まってみんなでたっぷり食べて。楽しかったなあ」
大学を卒業してお見合いに精を出しながら織物職人を目指していると、ひょんなことからテレビの世界に入ることになった。30代で初の一人暮らしを始め、19時にテレビ局に入り深夜2時に解放される多忙な日々。お酒も好きでふらふらになるまで飲むこともあったが、「門限がなくなると、逆に早々に帰りたくなるもので。天邪鬼ですね」。 一緒に働いていた若いスタッフたちをアパートに呼び、胃袋を満たしてあげることもあった。「だってみんな激務で貧乏で(笑)、かわいそうだったから」。腹が減っては戦はできぬとばかりに文化鍋でお米を炊き、大量の豚しゃぶを用意する。多いときには30人ほど押しかけ、しかもみんなよく食べるものだから、一晩に何度も米を炊いた。「まるで寮母さんみたいでした」