知事の“お願い”“要請”に強制力はあるの? 「行政指導」のメリット・デメリット
新型コロナウイルスの“第3波”に伴い、全国各地の知事が地元住民や事業者に向けて不要不急の外出自粛や営業時間の短縮などを、「お願い」「要請」「協力」という形で発している。振り返れば、2月には北海道知事が全国に先駆けて「地域独自の緊急事態宣言」を出し、国の緊急事態宣言解除後の6月には東京都がレインボーブリッジを赤く灯して警戒を呼び掛けた。これらは「行政指導」と呼ばれるものだが、どれほどの権限(強制力)を有するものなのだろうか。法学的な視点を交えながら考察してみよう。(行政学者・佐々木信夫中央大名誉教授)
「自粛お願い」式の行政指導
「自粛をお願いする」「休業要請に協力を」…… 都道府県民や事業者に対し、各知事が会見で発し続けるあの「要請」や「お願い」は何なのか。拘束力も罰則もないとされながら、多くの人は何か「守らないとルール違反者」になる、「レッテルを貼られる」と恐れながら行動している。しかし役所に人々の活動を制限する権限って本当にあるのだろうか。 少なくとも特措法の下で発出された緊急事態宣言が解除された後の「東京アラート」などは何かを制限する権限に基づいている訳ではない。端的に言うと、それは行政の意思・意向を表明しているに過ぎず、従うか従わないかは住民、事業者の判断次第、という性格のものだ。 これを「行政指導」という。法治行政の中で例外とされ、法的根拠がなくとも行政官庁の意思で「公共の秩序を保つ」という大義を持ち出すことで使われている手法だ。実は、日本は世界に稀に見る「行政指導」を多用する国家として有名なのだ。旧通産省が自動車業界を指導して自動車の普及を図ったり産業振興を行ったりして「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と言わしめた高度成長期のそれは国を上げての行政指導の賜(たまもの)と言われる。 “第1波”到来の際、当時の安倍晋三首相は他国のような強制力を備える措置を取らずとも感染拡大を抑え込むことができた、として「日本的なやり方」を誇った。このときも、どの事業・どの店を外すかなどを行政が決め、各業界のガイドラインに沿った対応を求めた手法は行政指導であった。要請に応じないパチンコ店に対して知事が「店名を公表する」などと対抗していたのは記憶に新しいのではないだろうか。例えば、小池百合子都知事が会見で「お願い」「自粛」を繰り返し語り、うまく行かないなら「アラートを発令します」などと述べていたのは都の行政指導という性格のものだ。思いを伝えているに過ぎない。