「ロマンだけで酒造りはできない」ーー被災から12年、世界に挑む東北の老舗酒蔵 #知り続ける
再開に向けて全国の蔵から杜氏が集結
新澤醸造店にも全国から応援の声が届いた。取引先の酒販店はヘルメットをかぶってがれきの片付けに奔走した。「義援金です」とお金を置いていく人もいた。そんな声に背中を押され、新澤も酒造りの再開を決意する。 全国の同業者も手を差し伸べた。48の蔵から51人の杜氏や蔵人が大崎に集ったのだ。人海戦術の手作業で酒を仕込んでいく。先述の浅野はそんな蔵人たちの姿をありありと覚えている。 「かろうじて残った在庫の出荷作業をしている合間に、そっと蔵の中をのぞいたんです。全壊判定の古い蔵で、全国の蔵元さんが釜掘り(蒸しあがった米をスコップで掘り出す作業)をしている。あり得ない光景で、いま思い出しても涙が出ます」 こうして在庫を途切れさせることなく、新澤醸造店の酒は全国へと届けられた。
次なる難題も待ち受けていた。蔵を補修するか、移転するか。創業140年、新澤の生家でもある蔵を移す決断は簡単ではない。それでも新澤は移転を決める。理由はやはり「品質」だった。 新澤醸造店は当時、サケのコンペディションなどで全国20位前後につけるようになっていた。トップ集団といえる位置だ。一方、ふつう飲食店に置かれる日本酒メニューは多くても8から10程度。料理人の故郷の酒も含まれるだろう。全国で五指に入る蔵にならない限り一流の料理人には選ばれない。新澤はそう考えていた。 「確かに、この地で復旧・再開することを夢見ました。でもロマンだけで酒造りはできません。補修しても、余震が来ると土ぼこりで商品がダメになるかもしれない。広さも不十分でした。世界と戦う以上、もっといい酒を造れる場所を探そうと決めたんです。ただ、やっぱり蔵が取り壊されるのは見ていられませんでした。解体作業は従業員に任せて、私は新しい蔵の準備に集中しました」 本社機能と精米部門は大崎に残し、約80キロ離れた川崎町の山間部を酒造りの新たな拠点に選んだ。十分な広さがあり、水質がいいことが決め手だった。清水を汲み上げてそのまま使える立地は新澤醸造店の酒の味を一段階高めることになる。