「ロマンだけで酒造りはできない」ーー被災から12年、世界に挑む東北の老舗酒蔵 #知り続ける
借金完済目前で震災発生
コンセプトに掲げたのは「究極の食中酒」。 2000年代初頭、市場で人気を集めていたのは味が濃く、インパクトのある銘柄。特に地方の小さな蔵は派手な酒で印象づけ、東京や大阪に進出するのがセオリーだった。だが、新澤はあえて逆を行った。糖度は売れている酒の約半分。うまみを生かしつつ甘さを抑え、切れのいいクリアな味を追い求めた。 「味を強くしてインパクトを出せば出すほど、料理には合わなくなる。甘さを抑えて料理を引き立たせる酒こそ必要だろう、そこで勝負しようと考えました」 新澤はその酒を「伯楽星」と名づけた。伯楽とは名馬の目利き、転じて逸材を見つけ出す力のある人のことだ。目立たなくてもいい酒を造り続け、いつか、名伯楽たる料理人たちに見つけ出してほしい。そんな願いを込めた。そのカギになったのは新澤自身が培ってきた利き酒の力だ。タンクごとに糖度などをわずかに変えて酒を醸し、季節や出荷する地域によって味を調整した。 伯楽星はじわりと評判を呼んだ。2005年からは日本航空のエグゼクティブクラスに(13年まで)、11年からはファーストクラスに搭載(現在も継続)された。輸出も増え、売り上げは2億円にまで伸びていた。
だが、借金完済にめどが立った矢先、震災が起こった。 「家族を亡くした従業員もいて、最初は生きることに精いっぱいでした。蔵を補修しようにも大工さんも被災しているし、別の場所を探すにもガソリンもありません。あと少しで借金完済というところまで来ていたなかでの被災で、補修にしろ移転にしろまた莫大な借金を背負うことになる。精神的にもきつかったです」 酒造りの再開を決めたのは11年4月になってから。当時、期せずして東北の酒ブームが起きつつあった。 3月29日、東京都知事だった石原慎太郎が記者会見でこう発言した。 「桜が咲いたからといって、一杯飲んで歓談するような状況じゃない」 自粛ムードがさらに強まることが確実だった。だがそのアンサーとして、岩手の酒蔵がYouTubeでメッセージを流す。 「東北を思って自粛してくださることはありがたい。でも、お花見をしてくれることの方がありがたい」「日本酒を飲むことで東北を応援してほしい」 日本酒造組合中央会が運営する日本の酒情報館館長の今田周三は当時をこう振り返る。 「震災で多くの蔵が大変な被害を受け、さらに自粛の波で途方に暮れる状況でした。そんな中で蔵元の方々が語ったメッセージは、本当に心に響くものでした。それで完全に雰囲気が変わって、東北の酒が一気に売れ出した。岩手・宮城・福島だけじゃなく、山形や秋田の酒も売れました。そして実は、震災から1年くらいすると今度は全国の酒が売れはじめました。東北の酒を飲んで『日本酒っておいしい』と思ってくれた人が増えたからでしょうが、私がこの業界に入って当時で22年、一貫して苦境だった日本酒が初めて『売れている』と実感した瞬間です」