歴史は「物語の文化」と「契約の文化」との葛藤(上)
ギリシャは「物語の文化」
神殿の様式をはじめとしてギリシャ文明がエジプトから多くを受け継いだことは明らかである(これもヘロドトスの『歴史』参照)。そしてそれが「物語の文化」であったことは、あのように人間と同じ姿をして、人間と同じように考え、行動し、また失敗もする神々の物語、すなわちギリシャ神話を読めば理解できる。そしてそれが後世の物語文化の基幹をなしている。ヨーロッパの絵画や彫刻が表現する内容は、ほとんどがギリシャ神話とキリスト教からくるものだ。 古代ギリシャではさらに、哲学や自然科学という今日の文明の基礎となる文化が花開いたが、この時代には哲学も、その一分野であった科学も、物語的な文化だったのではないだろうか。ちなみに現代の学者も、論理的に仕事をするので契約的な人間であるようだが、実は意外に物語的な人間であることが多い。 このギリシャを、三島由紀夫は「眷恋(けんれん)の地」と呼び、芥川龍之介は「東洋の怨敵」と呼んだ。ファナティックなナショナリズムに殉じた三島と、冷徹な西欧的知性を感じさせる芥川では逆のようだが、同じことを表現している。ともに自死を選んだ二人の文学者は、古代ギリシャの物語の文化に強い憧憬と嫉妬を覚えたのだ。 古代ギリシャは、人類の歴史における「知性の極北」であると同時に「物語の深淵」でもある。
ローマは「契約の文化」
ギリシャのあとに地中海周辺を制したローマは、どちらかといえばメソポタミア型の「契約の文化」を受け継いだように思える。 ローマ人は「戦争と法律と土木」に長けていた。地中海文明を大きく拡大したのだが、ローマ人の面白いところは、エジプトやギリシャという古い文明世界を征服しても、彼らにローマ文化を押しつけるのではなく、むしろその文化をローマ帝国内部に持ち込んだことである。軍事や政治はローマ人が担当しても、科学や芸術はギリシャ人に任せたのだ。つまりその神話体系がそうであるように、ローマ文化はギリシャ文化の上に乗っていた。 さらにローマは、道路、橋、水道、大浴場、闘技場といった構築物を大々的に築いた。それまでは神と王のためにしか存在しなかった石造の巨大構築物が市民の公共の用に供されたのだ。意匠的にはギリシャ神殿の様式をそのまま受け継いだが、アーチ、ヴォールト、ドーム、コンクリート、クレーンといった技術はローマで発展した。今では科学と技術は切り離せないものだが、この時代、科学は哲学や芸術に近く、技術は軍事や政治に近かったように思える。 ローマは、近代の西欧や米国に近い「契約の文化」であった。